煌めく光の中で


by fusk-en25

カテゴリ:本を読む( 20 )

ミーハー的?

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今更。。とかミーハー的やなあ。。とか思わないこともなかったが。。
やっぱり読んでみようとイシグロ・カズオを読みだした。
ノーベル賞に決まった直後は本屋にもネットにも全く彼の本がなくなったと言われたが。
今はまた増版されたのか。。どっさりあるらしい。
30年近く前に出版された当時に「女たちの遠い夏」と「浮世の画家」はすでに読んでいる。
この2作ともイギリスで賞をとっている作品だが
読んでいた頃は。。私には合わない小説と言う印象が強かった。
だから。。次のブッカー賞をとった「日の名残り」は読まなかった。

12月の半ばに
ハヤカワepi文庫の8冊をすでに読んだ2冊も含めて送ってもらった。
その8冊。。
何から読もうか。。本を前にするといつものことだが
しばらくはまるで舌舐めずりするかのように。。パラパラ開けては閉めて。。
あちこち本を眺めることを繰り返す。

タイトルに惹かれて。「わたしたちが孤児だった頃」をまず読みはじめ。
続きに短編の「夜想曲集」を。
どちらも少し物語に飛躍しすぎるきらいやドタバタの感じもしないではないが
かなり面白かった。
ついで「わたしを離さないで」。。読み出すとぐんぐんのめり込んでいく。。

以前読んだ2冊は何故合わなかったのだろう?
「遠い山並み・・」と「浮世の画家」には。東洋的な情緒が書かれていると言われる。
読み直した感想としては東洋的なのではなく。
作者が彼自身のアイデンティティを探していたのではないか?と。
彼自身が表明しているように。5歳までしか暮さなかった日本の長崎。
彼自身が知っていると思える場所でありながら。実は想像に過ぎない場所になってしまっていて。
日本人の私から見ると。その5歳で終わっている日本人感覚が、
実際に日本に暮らしていた私の皮膚感覚と少しずれている感じがして。
読んでいる途中どうしてもイライラしてしまう。
その反面。
「わたしを離さないで」は悲しい切ない話なのに。。
ハッピーエンドが好きな私としてはこの悲劇的と思える話も。
あまり暗い印象は持たなかった。
私自身が知らない世界を想像することにより。。ファンタジーや時代小説の感覚で読めたのだろう。

私の息子も6歳からフランスに住み。フランスの教育を受けた。
私自身にしてもこんなに長くフランスに住むなどとは思わなかった。
「ちょっと長い目の旅行」をしているぐらいの気軽な気持ちが。いつのまにか時が経ち。
息子はフランス社会で暮らしている。
そのことに私は。。おそらく夫も息子に負い目は感じている。
自分の意思で住み始めた私たちと違い。息子は無理やりここに住まわされた。
この社会に適応するために幾らかの苦労もあっただろうし。
それ以上に「自分のアイデンティティはなんだろう?」と再三考えたには違いない。
母国語の日本語を息子は話すことも読むこともできる、
しかしそれで小説を書くほどには日本語が堪能にならなかった哀しさも幾らか味わっていると思う。
それがいいとか悪いとかの意味合いではないとしても
もしもずーっと日本に暮らしておれば全く考えなくてもいいことを無理に強いたのは私たち親である。

イシグロ・カズオを読んでいると
日本のことが書かれた2冊は再三 彼自身が自分は何なのか?と
問うているような気がしてならなかった。
それが「わたしを離さないで」が書かれた頃には
人間だから何人でもどこに住もうといいじゃないか。。
とふっきれるような明確な彼の意思表示が現れてきているような気が、私にはする。
「日の名残り」はイギリス人の好む話だと思う。
偉大な英国、よりよく世界が動く様にいい(イギリス)人たちが舵をとろうと考えている世界、
イギリス人の最も好むユートピアが全面にあふれている話ではないだろうか。

さて。。「忘れられた巨人」はこれから読むのだが。。
どんな展開になっていくのか。。どんどん楽しみにはなってきた。





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by fusk-en25 | 2018-01-26 08:20 | 本を読む | Comments(4)

雪からの。。

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午後5時40分。
日没と入れ違いに。。建物の真上に三日月が光る。
ただし、この日も朝から鬱陶しくて。時々雨も降り。気温も13度と冬にしては暖かいが。
この三日月もほんのわずかの間だけ。。30分ぐらい瞬いただけだった。。

関東地方に。
それも東京に大雪警報が出ているという。
「食料品を多い目に買いました」と書かれているのを読んでいて。
随分前に(30年ぐらい前だったか)
読んだジュディス・ゲストの「愛が満たされるとき・Second Heaven)の1シーンを思い出した。
主人公が3人(中年の男女と少年)で構成されている物語だが。
女主人公と少年が初めて出会った時。雪に降り込められて。女性の家に泊まる。。
その翌朝、
食品棚をあちこち開けて。。彼女が買い置きの食べ物を探すシーンが。。
「オートミールがあったわ。あら。プルーンも。これを柔らかく煮て朝食に食べましょう。」
台所中色々な食べ物を探す女主人公。
なんて事のない場面だけど。妙に心に残っていて。
この東京の大雪警報を見ていてふと思い出した。
読んでいる時にも。
もしも私ならどうするか?と考えたことも。。
別に特に備蓄としての食料品を準備しているわけではないが。
最低水と電気さえなくならなければ。
今なら粉と水とイーストがあればパンは焼ける。クレープも作れる。
乾物の豆を煮てもいい。。
冷蔵庫に何もなくなってもお米があるから。。炊けばおにぎりは食べられる。。
1週間ぐらいなら食いつなげるか?と。
以前、それを誰かに話すと。ここなら1ヶ月ぐらいの備蓄はありそうだと笑われたりした。
そう、ワカメの味噌汁も飲めるしねえ。。

ジュディス・ゲストの1作目「アメリカのありふれた朝・Ordinary people 」 も好きな小説だった。
どちらもごく普通の?アメリカの人たちが暮らしの中で起こりうる様々な事に対処していく様が
実に柔らかく書かれている。
それにしても2冊とも原題のさっぱりしたいい感じに比べて、
なんと邦題は甘やかなものが使われているのかと。
ちょっと憤慨しながら読んだ時には思っていた。


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by fusk-en25 | 2018-01-23 07:55 | 本を読む | Comments(2)
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本の中を彷徨っている。
「片付けないで古い本を読み耽ってるのとちゃうか?」
私ならありそうなことだと息子が笑う。
「やってへんって」と言いながらも、
本当は積んである本をパラパラめくりたい。。誘惑にはかられる。

2週間ほど前に整体に行った時。
施療士に
「ちょっと体が草臥れている。ヴァカンスなんだから、動くのもゆっくりにしたほうがいい」
とは言われていた、
私自身、疲労感の意識はさほどないのだが。そんな風に言われると
「言い訳」ができて。
普段なら昼間は読まないことにしている本も。
これ幸いと堂々と寝そべって読みふける。

しかも川上弘美の長編「水声」をもらった。
元々好きな作家だから食いついて読み出した。
「ああ彼女はここまで来たのか」というと変だが。
気持ちに染みいるような小説だった。
普通から見れば妖しげな、どちらかと言えば「いかがわしい」とさえ思えるような状況を。。。
なのに。その中にいる主人公たちがあまりにも人間としては健全な。
寧ろ清々しいような感じがして。心が深く揺すぶられる。

川上弘美を初めに読んだのは
確か「センセイの鞄」だった
あの温かな人間関係に惹かれて。文庫になっている本はほとんど読んだ。
数えてみたら17冊。
「古道具屋 中野商店」や「どこから行っても遠い町」も好きだったが。
センセイの鞄の頃のどこかまだ少し舌足らずな。
これだけは書きたいという思いの方が幾らか先走っていたような。
そんなものがこの「水声」からはすっかりなくなって、透き通るような感じがした。


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by fusk-en25 | 2017-08-08 07:04 | 本を読む | Comments(0)

若い作家の本を。。。

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「こんな作家を読まれたことがありますか?」と
日本に帰っていた友から若い作家の本をもらった。
澤田瞳子。
母堂は作家の澤田ふじ子と言う。
澤田ふじ子なら、私と同世代でもあり、
しかも京都在住の親近感から過去に何冊もの本を読んだ。
特に長谷川等伯や生け花作家を主題にした本は好きだった。

さて、その澤田瞳子。
編集された「大江戸猫三昧」
小説の「若冲」と仏師の定朝を主人公にした「満つる月のごとし」
の3冊。3日ほどの間に一気に読んだのだが。。
編者になっている大江戸猫三昧は
岡本綺堂から始まって10人の作家の短編が編まれいて。
さすがに選ばれた面々の面目躍如と思われる作が並んでいる。
ふーん猫を扱うだけでこんな編み方もできるのか?
と思いながら読み。

小説になった
若冲や定朝のことも作者が歴史家と言うだけあって
しっかり時代背景が書かれている。
中でも「滿つる月のごとし」は仏師・定朝自身を主人公にせず。
親交の深かった青年僧・隆範を通しての平安末期当時の貴族社会や
信仰のあり方。武士の台頭など背景になる都の風俗もわずかながら感じられる。
仏師・定朝の作で現存していると言われる宇治平等院の阿弥陀如来を
このような角度で捉えていく様が。
仏像として気高いだけでなく生身の人間に近い憧憬を表したのだろうと
平安末期の時代の転換期に、当時の人々が何を欲したのかを
幾らか想像もできて興味深かった。
歴史小説としてみれば少し軽い感じもしたが。。

今後どんな小説を彼女が書いていくのか?
楽しみな作家の気がする。


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by fusk-en25 | 2017-08-01 07:35 | 本を読む | Comments(0)
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ナタリア・ギンズブルグは「ある家族の会話」1冊しか読んでないのだが。。
しかも、昨夜読み終わったばかりで、
私自身まだいくらか本の中にさまよっている感じも残っている。。。

私としてはこの本を珍しく10日あまりもかけて読んでいた。
ここひと月あまり部屋を改造中で、本を開ける回数が極端に少なかったせいもあるのだが。
一気に読まないことがこの本にのれなかったと言うことではない。
いつ読みかけても、常に同じペースで迫ってくるというか。。
表題が示すように「家族の会話」が中心になされながら。
それを解説する地の分の淡々さが、
会話が持つ生々しさをさらっと抜けるような書かれ方に。。それらがまた凛として。
それでいて読み進むうちに。家族や彼らを取り巻く親しい人たちが。
一人一人しっかりと浮かび上がってくるような確かさに。。
いつのまにかトリノの彼らの家の前の道を
彼らと一緒に歩いているような気分にさせられる小説だった。

ナタリア・ギンズブルグを読んでみたいと思ったのは。
いつか須賀敦子のこともまとめてみたいと考えていて。
彼女がこの本の翻訳をやりたいという気持ちが何故起こったのかを知りたかった。
今はまだそれが何故だったのかは明確にここがこうだとは言えないまでも。
この小説のあたかもそっけない感じにあえて書かれている文体に。
自分の思想を持つことが命をかけることに直結して繋がる深い哀しみの時代を
単に哀しみという形で表さない、ある意味での潔さとでもいうのだろうか。
その重さを淡々と語りつくされていく様が。
家族がちりちりばらばらに流刑の地に追いやられたり。夫のレオーナを失うことすらも。
その想いの深さは形になって書かれているのでない。
書かれていない一種のすごさのようなものが、かえって淡々と綴られることによって。
より深く私の中に食い込んでくるような気がした。

もう一冊持っている彼女の。。。より小説らしい小説と言われている
「モンテ・フェルモの丘の家」も近いうちに是非読みたいと思っている。


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by fusk-en25 | 2017-07-05 07:51 | 本を読む | Comments(2)
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たった一冊だけ彼女が訳した「愛しのろくでなし」を読んだのが
彼女を知るきっかけで。ずーっと「翻訳家」だとばかり思っていた。
ロクデモナイ男と知りながらそれでもなおかつひたすら愛してしまう女たちに
一種の甘やかな、それでいてどうしようもなくひきづられる気持ちに共感を感じて。
他の翻訳はないかと探していたら。
見つかったのが「大統領のクリスマスツリー」だった。
タイトルから、その本も翻訳書だろうと思って。
読み始めたら、彼女自身の小説なのを知って、驚いたのだが。。
男と女が織りなす切ない気持ちがありながら結局は潰れてしまう互いの儚さに
またなんとなく惹かれるものも感じて。
デビュー作の「川べりの道」や「駆ける少年」など文庫になっているものはことごとく読みふけった。
あの若い日に「川べりの道」のような小説が書けたのかと思うと。
彼女がなぜそんなにも生き急がなくてはならなかったかと。
若い頃の私は、死をいつも身近に見据えて暮らしていた時代も持っていて。
生きることが面倒になる気持ちもなんとなく理解はできるし。
精一杯生きて力尽きたとは思うのだが。。
それにしても「結果を早く出しすぎたのじゃない?」と。
惜しいと言いたい気持ちはいつも残っている。


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by fusk-en25 | 2017-05-30 09:09 | 本を読む | Comments(4)
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ブログ「梨の木日記」の梨の木さんのアラバマ物語の感想から。
トルーマン・カポーティに繋がって、
この作家の小説は30代で嵌まって読んだ記憶があるから懐かしかった。

特に好きだったのはアラバマ時代と言われる
「草の竪琴」や「クリスマスの思い出」で
有名な「ティファニィで朝食を」はその頃あまり好きでもなかった。
今ならどんな感じに読めるだろうと。
月の初めから古い本を引っ張り出して読み出した。

まず「草の竪琴」を
アラバマの草の匂いまでしてくるなあと思いながら読んでいて。
細部は忘れていても自分の中にイメージが濃厚に残っているのを発見したりして。
続きに「夜の樹」や「カポーティ短編集」も。
短編はどれももう完全に忘れているのだが。
読んでいるうちに変な現象が起こってきた。
普通は読んでいる時点で次々に絵が浮かぶ、
今回はその浮かぶ絵がまだ読んでいないほんの少し先まで見えてくる。
もちろん30年も前とは言え読むのは2度目だから、
以前一度想像した絵がどこか記憶に残っていたのだろうと言ってしまえるかもしれないが、
すっかり忘れている話なのにちょっと先が浮かんでくるのはなんとも不思議な感覚で
それはまた既視感でもない変な状態だった。
本を2度読むことはほとんどないから、再読とはこんな風になるのかと思ったりもして。
最後に、映画にもなって有名なのに
好きでなかった「ティファニィで朝食を」はパスしようか?と思いながらも、
読み出すとこれが意外と面白く「ティファニィで朝食を」はこんな小説だったのか?
と新たな発見をしたような思いがする。
私の年齢からくるのか?それともこの30年近くの間に
西洋の翻訳小説をかなり読んだ結果、アメリカやニューヨークのことが以前より理解が深まったからか?
行きつけのバーの喧騒や匂いまで想像できる気がした。
来年は持っている「冷血」や「遠い声・遠い部屋」も読んでみようか?

読んだ本の感想までは書いていないが
25年前から完読した本の題名だけは小さな手帳につけている。
今年はこの「ティファニィで朝食を」が最後の本で。通算すると3017冊になった。
後何年?後何冊の本?が読めるだろうか。。。


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by fusk-en25 | 2016-12-31 10:14 | 本を読む | Comments(4)
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北村薫を一番最初に読んだのは「スキップ」だったと思う。
「僕らの時代の学園祭に風景が似ている」と友達に勧められて、本を送ってもらった。
確かに、作者と私は同世代だから似通った学園祭が出てくるのは懐かしかった。
それ以上に国語の教師がこんな風に古文も紐解いてくれたら。
高校時代現代国語は好きだったが。
古文はちゃんと解釈をすればそれなりに面白いだろうに
怠けていてそんなに得意な学科ではなかったのが、今になれば惜しまれる。
自分の怠けていた事を棚に上げて
「こんな教師ならいい」と言うのもおこがましいのだが。。。
しかし もしも主人公のように、高校の年齢から40歳代へ「その間のいいところ?」の
時間を飛ばされてしまうのは、
その頃ケン・グリウッドの「リプレイ」も読んでいて。
同じタイムスリップでも繰り返えせる生涯なら悔しさも少ないのに、
その時代がすっかり無くなるのは、自分自身の若い頃を考えても
「割りに合わない」「勿体無い」と随分損をしたようになる気分は拭えなかった。

その後、すぐに三部作と言われる「ターン」を読んだ。
この小説はもっと好きだった。
タイムスリップをする幅が遠い未来でも過去でもなく「現代」の今日昨日という
短い時間なのが面白い。
しかも実際に本来の場に戻れるかどうかわからない不安を濃厚に持ちながら。
最終的に希望を失わず「明日がなくてもいい。今日やるのだ」と、
版画を擦り出す主人公に拍手をしたいような気持ちだった。
「背水の陣」や「絶壁感」になるとやたら張り切る私の性格がそんな場面に同調したのかもしれない。

「円紫さん」「ベッキー」「覆面作家」などのシリーズも読んで
どれもそこそこ好きだったが、
最も好きなのは「月の砂漠をさばさばと」だろうと思う。
小学生のさきちゃんの目を通して、日常に起こる色々な母娘二人だけの生活が
ふわふわと楽しげに、痛々しい時もありながら、素直な目で書かれていて
読んでいても清々しい希望が感じられる話だった。
その続編とも思える「ひとがた流し」はさきちゃんが大きくなった時に。
周囲の大人の女たちはこんな風に年齢を重ねてきたのだと
彼女たちの変化に自分の思いも重ね合わせ、ごく身近な人たちのような錯覚さえも抱かせられて
懐かしい人たちにまた会えたような気分になりながら。
登場人物全てに感情移入をしてしまった?

北村薫だけでなく、本格的推理小説というのは私はあまり好きでない。
トリックを見抜くなんて。どうでもよくてそれより登場人物が
何を考えどう行動していくかの方がずーっと興味があるからだろう。


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by fusk-en25 | 2016-10-14 06:16 | 本を読む | Comments(4)

久しぶりにSFを読む。

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誕生祝いに本をもらった。
「紙の動物園」ケン・リュウ(劉宇昆)
初めて読んだ作家だが。
2002年から2013年までに発表された70編の短編の中から15編を選んで編まれていた。
中でも書名になった「紙の動物園」は秀逸だった。
コネカチットに住んでいるアメリカ人と結婚した中国人の母親が
彼女が作った折り紙の動物に息を吹きかけると。
その折り紙の動物が生きているように動く魔術のような話なのだが。
ファンタジーとしての面白さより、その家庭を取り巻くアメリカの状況が
浮き彫りにされているようで、共感を感じる。

この話の背景になっているアジア人の悲しみを思うと、
私がここで暮らして、そういう場に行き合わせなかったからかもしれないが。
あからさまに東洋人として差別を受けたことはほとんどない。
様々な人種が住むパリの状況からも、
しかも日本が経済大国になってきた時代の恩恵もあったのだろう。
私が日本人とわかると好意的な接し方をされる場合の方がどちらかといえば多かった。
それでも「紙の動物園」の背景にあるアメリカに住むアジア人への意識は
なんとなくわかるような気がする。
異国にいる者の持つしんどさとまでは言い切れないが。
自分と違った文化圏にいる緊張感に似たようなものがあることも、
言葉の不自由な場所で、たった一人異邦人として暮らす儚げな気持ちも理解できる。

私自身は望郷の念はほとんどない。
紙の動物園の母親のように帰る場所がなくなったわけではないから、
帰りたければいつでも帰れる安堵感もあるのだろう。
もしも帰りたい気持ちが起こっていたら、とっくの昔に帰っている。
だからと言ってここに住むのが絶対に素晴らしいなんて言う気持ちもない。
なんとなく住んでしまって、時が経ったぐらいの気楽な(いいかげんな?)感じの方が強いが。
自分自身が常に日本人だという意識は日本に住んでいた頃より濃厚に持っているとは思う。

この本の中の他の短編はそれなりに面白い設定もあるが、
まあ言えばごく普通のSF小説だった。
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by fusk-en25 | 2016-06-19 10:48 | 本を読む | Comments(2)
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この本に出会ったのはもう30数年前。
パリの日本人向けリサイクルショップの本棚だった。
大して興味を持たない題名だったが、著者の名前に惹かれた。
実は私の旧姓に似通っていたからだ。
同じような名前に親近感が湧いたのだろう。
買ってきた何冊の本と一緒に積み上げて。時々パラパラ見ていて。
最初は大して気にもとめずに読み始めたのだが
知らなかった家事のやり方が丁寧に書かれていて
中には古いなあと思えるようなものもあったが。
何しろ文庫になったのが昭和59年。単行本にまとめられたのは55年。
本の元になった日経新聞の掲載が昭和41年というから相当昔の?話ではある。
たくさんのお年寄りからの聞き書きをまとめた家事のやり方が
・日々を楽しむ(早起き、細切れ時間の使い方。姑暮らし。趣味仕事。。。)
・料理を楽しむ(料理の勘。米とぎ。豆料理。摘み草など。。。)
・物をいたわる(虫干し。針仕事。敷きのし。つくろい。。。)
・暮らしをはかる(不時の備え。年中行事。やりくり。。)
項目を上記のように4つに分けて内容も多岐にわたって詳しく書かれている。
中にはたんに古いと片付けてしまえない事柄も色々あった。
しかもこの本は読んでいて面白かった。
何年も前に実際に祖母や姑たちが普通にやっていた家事。
それが彷彿される。
私が子供の頃は書かれている布団など祖母が毎夏こしらえていたし、
解いた着物を伸子で貼られているのを見たこともある。
洗濯一つにしても
「今は機械で洗うのだからせめて干し方ぐらい考えたらどうか」とか。
「もっと歳がいって外に出られなくなったら
縫い物の楽しさを知らない人はどうして時を過ごすのだろう」と書かれている。
お年寄りが家事の中で自分の位置をまだ楽しめた時代だったのだろう。
舅の破れた靴下を「そんな物安いから買うたらええのに」と言われながら
勿体ながってたんねんに繕っていた姑の姿と重なったりした。
今も時たま、これはどんな風にやるのだったかと
調べるために読み直すこともある。
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by fusk-en25 | 2016-02-11 09:03 | 本を読む | Comments(6)