煌めく光の中で


by fusk-en25

カテゴリ:本を読む( 24 )

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夏に辻村深月の「ツナグ」を読んだ。
それなりに面白かった。https://kiramekuhi.exblog.jp/29992317/

辻村深月は。このツナグを読んだのが初めてで。
他にどんなものを書いているのだろうと興味も沸いた。
新しい作家に出会うとその作家の文庫になっているものを全部読みたくなる癖もある。
著作リストを眺めながら。。
さてどれにしよう?
10冊ほどの文庫の中から。
直木賞候補になった「ゼロハチゼロナナ」山本周五郎賞の候補の「本日は大安なり」
そして賞の候補にはなっていないが題に惹かれて「太陽の座る場所」を選んだ。。

読み出して。
引き込まれるまでには。。なかなか辿り着かず。
これまた悪い癖だが。この3冊を少しづつ行ったり来たりして平行に読んで。
一番最初にハマり出したのは太陽の座る場所だった。
ふーん今の?というか学生はこんな風な人間関係が。それも女子の間で起こるのかと
正直なところかなり不思議な感じの世界だった。
私自身の高校の時から思えば。。もちろん時代も違うからだろうが。。
女の子達はこんな考え方をするのかと少し驚きもした。
恩田陸や北村薫の学園ものから考えてもまた違う感じで。。
読み物として面白いとしか言えない小説だった。

「ゼロハチゼロナナ」も「本日は大安なり」も
よく考えた小説の趣向だなとは思う。。小説としてもそこそこ面白い。
でも。。
また次に辻村深月を読むかどうかはわからない。。









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by fusk-en25 | 2018-10-08 08:26 | 本を読む | Comments(4)

ツナグ。。

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「今年のパリは暑くて。。結局2冊しか読めませんでした」
と本読み友達が置いていった2冊の本。
川上弘美の「東京日記」と辻村深月の「ツナグ」
川上弘美は好きな作家で今までにも何冊も読んでいるが。https://kiramekuhi.exblog.jp/28033983/
辻村深月は初めだった。
その「ツナグ」
あの世の人とこの世の人間がたった1回だけ要望すれば会える。
その間を取り持つ使者がいて彼のことをツナグと呼ぶ。
お盆にぴったりの話ではないか。。

読んでいて。自分自身なら誰に会いたいかときっと誰でも考えるだろう。
私にも一人会いたい人がいる。
それが早くに亡くなった父でもなく。。
長年連れ添った夫でもなく。
私を赤ん坊の時からひたすら愛しんで育ててくれた祖母でもない。

私が生まれる5年前。55歳で亡くなった大叔母である母方の祖母の姉に、
会いたいと以前から思っていた。
祖母の生まれた年に祖母の家は曽祖父の弟の負債(それもなんと博打の)の保証人になって
田地田畠家屋敷を取られて没落したという。
赤ん坊の祖母はいい。その後に生まれた4人の弟や妹は豊かな時代を知らないからそれもいい。
家が没落した時に8歳だった大叔母が
その境遇のあまりにの変化をどう受け止めたのかを知りたい。
どんな気持ちだったのだろうと。
祖母の話によると早くに木場に嫁に行き。(おそらく14、5歳で)
事あるごとに実家に物を運び。
祖母が就学する準備は「姉さんが全部用意して持ってきてくれはった。」
と懐かしそうに話した。
写真を見ても祖母のそばにいつも大叔母が一緒に写っている。
子供心にどんな人だったのだろうといつも私は想像していて。
私が生まれる前に亡くなったのがとても残念な気持ちでいた。

ツナグの設定なら。。
あの世の人も要望したこちら側の人間を選ぶ権利があるという。
断られる可能性もあるのだ。。
でも私は。。
大叔母は絶対私に会うだろうと思う。
祖母をそして私の母を溺愛していた大叔母が。
その子供である私に会いたくないはずがない。

本当は。。
その頃にタイムスリップできるならもっといいのにと思う。
明治28年から後の20年間ぐらいへタイムスリップできたら。
母方の祖父母の青春も?
父方の祖父母のアメリカに移住した経緯もわかるのに。。

お盆だからではないが。。
タイムスリップでなくても祖先の話をもっと聞いておけばよかったと。
今更悔やんでも仕方がないが。。
祖父母やそれにまつわる人々がしていた話を
何故もっと真剣に突っ込んで聞かなかったのだろうと
とその頃。全くそんな知恵のなかった私自身にたまらなく悔しい気がする。


午後9時40分。
日没のほのかな赤さの残る空に。。
綺麗な三日月が浮かんでいました。

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by fusk-en25 | 2018-08-15 08:51 | 本を読む | Comments(6)

鞍馬天狗。


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昨日の昼過ぎから。。時々背中が痛い。。
50肩などと言う年齢はとっくに過ぎている。。から違うし。。
寝違えたとも思えない。。
あっそうだ。
一昨日ネットで注文をした猫の砂18キロの袋が
下の管理人室に届いていたのをエレベーターから家まで引きずってきて。
家の玄関からベランダの端まで持ち上げて運んだ。。
その上にベランダも掃除して。鉢の土も入れ替えて。と。
ちょっと激しく?動いた所為か?
これしか思い当たらない。。きっとそれが原因なのだろう。
じっとしていれば痛みはない。それを言い訳にして。。
自転車に乗るのも休み。本を読みだした。

軽いものを読みたくて。
本棚を物色して大佛次郎の古い「鞍馬天狗」を引っ張り出した。
30年ぐらい前に江戸好きの?友達が持ってきてくれた「鞍馬の火祭」
その時ももちろん読んだのに。内容はすっかり忘れている。
ほんの少し言葉にリズム感が少ない感じはするが。
それなりに面白かった。
鞍馬天狗の映画は観たことがない。
遠い昔の子供の時に、紙芝居で1度ぐらい観たかもしれない。

続きに。。
戦後に書かれた「鞍馬天狗の新東京絵図」も読んでいる。
こちらの方は、言葉運びもすんなりして。。
江戸が明治に変わった場面を戦後の混乱期に重ねて。。
ものや人間を見ているような感じが好もしかった。
彼の作品は「パリ燃ゆ」や「帰郷」も持ってはいるが。
一番好きだったのは「冬の紳士」だった。
これももう一度読んでみようかと思ったりもしている。。

入道雲でもなく。。うろこ雲でもない。
形の面白い雲が。空一面に張り付くように浮かんでいた。

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by fusk-en25 | 2018-07-19 06:37 | 本を読む | Comments(4)

文藝春秋を。。

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今回の芥川賞受賞の人気作
「おらおらでひとりいぐも」を読みたいと思っていた。
3月末に友が来ることになって掲載されている「文藝春秋」を持って来てもらった。
「おらおら。。」だけをまず読みたいと思っていて。
重量があるから雑誌の中のその部分だけを切り取って持って来てくれてもいいと言ったのだが。
せっかくだからと雑誌をそのまま持って来てくれた。
何年ぶりだろう月刊雑誌を読むなんて。。
文庫本以外の本は重量から考えてもとても手が出ない。
受賞作を読む前にあちこちページをくって、拾い読みもして。。
大いに楽しんだ。

さて「おらおらでひとりいぐも」
うーん、この作品が人気になるのはよくわかる。
これからの私たちが抱える課題でもあるし、何より東北弁のうまさに引き込まれた。
だが。。もしもこれが東北弁を使ってなかったらどうだろう。。
迫力ないだろうなあ。通り一遍の老いの繰り言に終わってしまう。
私自身もこの主人公の桃子さんに。状況は似ている。。
夫を十年近く前に亡くし。一人暮らしのつまらなさは嫌という程知っている。
でもなんとなく。ちょっと違うなあという気がした。
桃子さんはやたら色々な人格というか声を自身の内部に飼っていて。彼らと対話する。
それもよくわかるのだが。。
夫が亡くなって。常に夫と対話をしている部分は私にもある。
「あんたやったらこうするやろうなあ。。ほんでこんな風にも言うやろう。」と。
だがしかし。。それは本当にそうなのか?
夫が本当にそうするだろうか。。
40年近くしかもほぼ24時間起居を共にして来た私たち夫婦。
大体のことは予想がつく。でも本当に夫はそんな反応をするだろうか?
その不確かさに。。死者と対話することに実は私はもう飽き飽きしている。
どんな違った意見でもいい。喧嘩になってもいい。
生の声が聞きたい。本当の答えを知りたい。それも正確なことを。。
もう私は。。生きている人間とだけ付き合いたい。。とつくづく思っている。

私は専業主婦?をやっては来たが。。
家族のために家事をやっていたのではない。
たまたま家事が面白くてやっていただけで。
もしも家事以外にもっと面白いものに出会ったら。
夫や子供など捨ててもさっさと私ならそれをやるだろう。
夫が亡くなってはじめて桃子さんが自由を得た気分は。。だから私にはわからない。
夫が居ても居なくても。常に私は私自身で考え。。
ある意味で元々自由に生きて来た自負のようなものはいくらか持っている。

期待しなかった「百年泥」の方は面白かった。
泥をかき回して。。その中から捨てたのや拾ったのや。
悲喜こもごもの記憶が浮かび上がって来て。。
しかもセンチメンタルではない。あっけらかんとした泥の中からの形ある?記憶。
インドを題材にした空気の渇きまで伝わって来るような
一種の清々しさ。。おおらかさまで私には感じられた。。





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by fusk-en25 | 2018-04-05 07:21 | 本を読む | Comments(8)

ミーハー的?

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今更。。とかミーハー的やなあ。。とか思わないこともなかったが。。
やっぱり読んでみようとイシグロ・カズオを読みだした。
ノーベル賞に決まった直後は本屋にもネットにも全く彼の本がなくなったと言われたが。
今はまた増版されたのか。。どっさりあるらしい。
30年近く前に出版された当時に「女たちの遠い夏」と「浮世の画家」はすでに読んでいる。
この2作ともイギリスで賞をとっている作品だが
読んでいた頃は。。私には合わない小説と言う印象が強かった。
だから。。次のブッカー賞をとった「日の名残り」は読まなかった。

12月の半ばに
ハヤカワepi文庫の8冊をすでに読んだ2冊も含めて送ってもらった。
その8冊。。
何から読もうか。。本を前にするといつものことだが
しばらくはまるで舌舐めずりするかのように。。パラパラ開けては閉めて。。
あちこち本を眺めることを繰り返す。

タイトルに惹かれて。「わたしたちが孤児だった頃」をまず読みはじめ。
続きに短編の「夜想曲集」を。
どちらも少し物語に飛躍しすぎるきらいやドタバタの感じもしないではないが
かなり面白かった。
ついで「わたしを離さないで」。。読み出すとぐんぐんのめり込んでいく。。

以前読んだ2冊は何故合わなかったのだろう?
「遠い山並み・・」と「浮世の画家」には。東洋的な情緒が書かれていると言われる。
読み直した感想としては東洋的なのではなく。
作者が彼自身のアイデンティティを探していたのではないか?と。
彼自身が表明しているように。5歳までしか暮さなかった日本の長崎。
彼自身が知っていると思える場所でありながら。実は想像に過ぎない場所になってしまっていて。
日本人の私から見ると。その5歳で終わっている日本人感覚が、
実際に日本に暮らしていた私の皮膚感覚と少しずれている感じがして。
読んでいる途中どうしてもイライラしてしまう。
その反面。
「わたしを離さないで」は悲しい切ない話なのに。。
ハッピーエンドが好きな私としてはこの悲劇的と思える話も。
あまり暗い印象は持たなかった。
私自身が知らない世界を想像することにより。。ファンタジーや時代小説の感覚で読めたのだろう。

私の息子も6歳からフランスに住み。フランスの教育を受けた。
私自身にしてもこんなに長くフランスに住むなどとは思わなかった。
「ちょっと長い目の旅行」をしているぐらいの気軽な気持ちが。いつのまにか時が経ち。
息子はフランス社会で暮らしている。
そのことに私は。。おそらく夫も息子に負い目は感じている。
自分の意思で住み始めた私たちと違い。息子は無理やりここに住まわされた。
この社会に適応するために幾らかの苦労もあっただろうし。
それ以上に「自分のアイデンティティはなんだろう?」と再三考えたには違いない。
母国語の日本語を息子は話すことも読むこともできる、
しかしそれで小説を書くほどには日本語が堪能にならなかった哀しさも幾らか味わっていると思う。
それがいいとか悪いとかの意味合いではないとしても
もしもずーっと日本に暮らしておれば全く考えなくてもいいことを無理に強いたのは私たち親である。

イシグロ・カズオを読んでいると
日本のことが書かれた2冊は再三 彼自身が自分は何なのか?と
問うているような気がしてならなかった。
それが「わたしを離さないで」が書かれた頃には
人間だから何人でもどこに住もうといいじゃないか。。
とふっきれるような明確な彼の意思表示が現れてきているような気が、私にはする。
「日の名残り」はイギリス人の好む話だと思う。
偉大な英国、よりよく世界が動く様にいい(イギリス)人たちが舵をとろうと考えている世界、
イギリス人の最も好むユートピアが全面にあふれている話ではないだろうか。

さて。。「忘れられた巨人」はこれから読むのだが。。
どんな展開になっていくのか。。どんどん楽しみにはなってきた。





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by fusk-en25 | 2018-01-26 08:20 | 本を読む | Comments(4)

雪からの。。

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午後5時40分。
日没と入れ違いに。。建物の真上に三日月が光る。
ただし、この日も朝から鬱陶しくて。時々雨も降り。気温も13度と冬にしては暖かいが。
この三日月もほんのわずかの間だけ。。30分ぐらい瞬いただけだった。。

関東地方に。
それも東京に大雪警報が出ているという。
「食料品を多い目に買いました」と書かれているのを読んでいて。
随分前に(30年ぐらい前だったか)
読んだジュディス・ゲストの「愛が満たされるとき・Second Heaven)の1シーンを思い出した。
主人公が3人(中年の男女と少年)で構成されている物語だが。
女主人公と少年が初めて出会った時。雪に降り込められて。女性の家に泊まる。。
その翌朝、
食品棚をあちこち開けて。。彼女が買い置きの食べ物を探すシーンが。。
「オートミールがあったわ。あら。プルーンも。これを柔らかく煮て朝食に食べましょう。」
台所中色々な食べ物を探す女主人公。
なんて事のない場面だけど。妙に心に残っていて。
この東京の大雪警報を見ていてふと思い出した。
読んでいる時にも。
もしも私ならどうするか?と考えたことも。。
別に特に備蓄としての食料品を準備しているわけではないが。
最低水と電気さえなくならなければ。
今なら粉と水とイーストがあればパンは焼ける。クレープも作れる。
乾物の豆を煮てもいい。。
冷蔵庫に何もなくなってもお米があるから。。炊けばおにぎりは食べられる。。
1週間ぐらいなら食いつなげるか?と。
以前、それを誰かに話すと。ここなら1ヶ月ぐらいの備蓄はありそうだと笑われたりした。
そう、ワカメの味噌汁も飲めるしねえ。。

ジュディス・ゲストの1作目「アメリカのありふれた朝・Ordinary people 」 も好きな小説だった。
どちらもごく普通の?アメリカの人たちが暮らしの中で起こりうる様々な事に対処していく様が
実に柔らかく書かれている。
それにしても2冊とも原題のさっぱりしたいい感じに比べて、
なんと邦題は甘やかなものが使われているのかと。
ちょっと憤慨しながら読んだ時には思っていた。


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by fusk-en25 | 2018-01-23 07:55 | 本を読む | Comments(2)
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本の中を彷徨っている。
「片付けないで古い本を読み耽ってるのとちゃうか?」
私ならありそうなことだと息子が笑う。
「やってへんって」と言いながらも、
本当は積んである本をパラパラめくりたい。。誘惑にはかられる。

2週間ほど前に整体に行った時。
施療士に
「ちょっと体が草臥れている。ヴァカンスなんだから、動くのもゆっくりにしたほうがいい」
とは言われていた、
私自身、疲労感の意識はさほどないのだが。そんな風に言われると
「言い訳」ができて。
普段なら昼間は読まないことにしている本も。
これ幸いと堂々と寝そべって読みふける。

しかも川上弘美の長編「水声」をもらった。
元々好きな作家だから食いついて読み出した。
「ああ彼女はここまで来たのか」というと変だが。
気持ちに染みいるような小説だった。
普通から見れば妖しげな、どちらかと言えば「いかがわしい」とさえ思えるような状況を。。。
なのに。その中にいる主人公たちがあまりにも人間としては健全な。
寧ろ清々しいような感じがして。心が深く揺すぶられる。

川上弘美を初めに読んだのは
確か「センセイの鞄」だった
あの温かな人間関係に惹かれて。文庫になっている本はほとんど読んだ。
数えてみたら17冊。
「古道具屋 中野商店」や「どこから行っても遠い町」も好きだったが。
センセイの鞄の頃のどこかまだ少し舌足らずな。
これだけは書きたいという思いの方が幾らか先走っていたような。
そんなものがこの「水声」からはすっかりなくなって、透き通るような感じがした。


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by fusk-en25 | 2017-08-08 07:04 | 本を読む | Comments(0)

若い作家の本を。。。

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「こんな作家を読まれたことがありますか?」と
日本に帰っていた友から若い作家の本をもらった。
澤田瞳子。
母堂は作家の澤田ふじ子と言う。
澤田ふじ子なら、私と同世代でもあり、
しかも京都在住の親近感から過去に何冊もの本を読んだ。
特に長谷川等伯や生け花作家を主題にした本は好きだった。

さて、その澤田瞳子。
編集された「大江戸猫三昧」
小説の「若冲」と仏師の定朝を主人公にした「満つる月のごとし」
の3冊。3日ほどの間に一気に読んだのだが。。
編者になっている大江戸猫三昧は
岡本綺堂から始まって10人の作家の短編が編まれいて。
さすがに選ばれた面々の面目躍如と思われる作が並んでいる。
ふーん猫を扱うだけでこんな編み方もできるのか?
と思いながら読み。

小説になった
若冲や定朝のことも作者が歴史家と言うだけあって
しっかり時代背景が書かれている。
中でも「滿つる月のごとし」は仏師・定朝自身を主人公にせず。
親交の深かった青年僧・隆範を通しての平安末期当時の貴族社会や
信仰のあり方。武士の台頭など背景になる都の風俗もわずかながら感じられる。
仏師・定朝の作で現存していると言われる宇治平等院の阿弥陀如来を
このような角度で捉えていく様が。
仏像として気高いだけでなく生身の人間に近い憧憬を表したのだろうと
平安末期の時代の転換期に、当時の人々が何を欲したのかを
幾らか想像もできて興味深かった。
歴史小説としてみれば少し軽い感じもしたが。。

今後どんな小説を彼女が書いていくのか?
楽しみな作家の気がする。


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by fusk-en25 | 2017-08-01 07:35 | 本を読む | Comments(0)
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ナタリア・ギンズブルグは「ある家族の会話」1冊しか読んでないのだが。。
しかも、昨夜読み終わったばかりで、
私自身まだいくらか本の中にさまよっている感じも残っている。。。

私としてはこの本を珍しく10日あまりもかけて読んでいた。
ここひと月あまり部屋を改造中で、本を開ける回数が極端に少なかったせいもあるのだが。
一気に読まないことがこの本にのれなかったと言うことではない。
いつ読みかけても、常に同じペースで迫ってくるというか。。
表題が示すように「家族の会話」が中心になされながら。
それを解説する地の分の淡々さが、
会話が持つ生々しさをさらっと抜けるような書かれ方に。。それらがまた凛として。
それでいて読み進むうちに。家族や彼らを取り巻く親しい人たちが。
一人一人しっかりと浮かび上がってくるような確かさに。。
いつのまにかトリノの彼らの家の前の道を
彼らと一緒に歩いているような気分にさせられる小説だった。

ナタリア・ギンズブルグを読んでみたいと思ったのは。
いつか須賀敦子のこともまとめてみたいと考えていて。
彼女がこの本の翻訳をやりたいという気持ちが何故起こったのかを知りたかった。
今はまだそれが何故だったのかは明確にここがこうだとは言えないまでも。
この小説のあたかもそっけない感じにあえて書かれている文体に。
自分の思想を持つことが命をかけることに直結して繋がる深い哀しみの時代を
単に哀しみという形で表さない、ある意味での潔さとでもいうのだろうか。
その重さを淡々と語りつくされていく様が。
家族がちりちりばらばらに流刑の地に追いやられたり。夫のレオーナを失うことすらも。
その想いの深さは形になって書かれているのでない。
書かれていない一種のすごさのようなものが、かえって淡々と綴られることによって。
より深く私の中に食い込んでくるような気がした。

もう一冊持っている彼女の。。。より小説らしい小説と言われている
「モンテ・フェルモの丘の家」も近いうちに是非読みたいと思っている。


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by fusk-en25 | 2017-07-05 07:51 | 本を読む | Comments(2)
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たった一冊だけ彼女が訳した「愛しのろくでなし」を読んだのが
彼女を知るきっかけで。ずーっと「翻訳家」だとばかり思っていた。
ロクデモナイ男と知りながらそれでもなおかつひたすら愛してしまう女たちに
一種の甘やかな、それでいてどうしようもなくひきづられる気持ちに共感を感じて。
他の翻訳はないかと探していたら。
見つかったのが「大統領のクリスマスツリー」だった。
タイトルから、その本も翻訳書だろうと思って。
読み始めたら、彼女自身の小説なのを知って、驚いたのだが。。
男と女が織りなす切ない気持ちがありながら結局は潰れてしまう互いの儚さに
またなんとなく惹かれるものも感じて。
デビュー作の「川べりの道」や「駆ける少年」など文庫になっているものはことごとく読みふけった。
あの若い日に「川べりの道」のような小説が書けたのかと思うと。
彼女がなぜそんなにも生き急がなくてはならなかったかと。
若い頃の私は、死をいつも身近に見据えて暮らしていた時代も持っていて。
生きることが面倒になる気持ちもなんとなく理解はできるし。
精一杯生きて力尽きたとは思うのだが。。
それにしても「結果を早く出しすぎたのじゃない?」と。
惜しいと言いたい気持ちはいつも残っている。


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by fusk-en25 | 2017-05-30 09:09 | 本を読む | Comments(4)