煌めく光の中で


by fusk-en25

カテゴリ:追憶( 56 )

苧環を眺めて。。

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もう40数年前のこと。。
ここに住み始める前の一時期。。
夫が「花」の写真ばかり写していたことがありました。

叔父がテキスタイルデザインの会社をしていて。
まだバブル期の前で。叔父の会社も少しづつ大きくなり出した頃でした。
何を思ったのか。その叔父がすでにある図案から図案を描くのは面白くない。
できれば生の花や写真から図案を起こしたいと言い出して。。
そのために写真を写して欲しいと夫に話を持ちかけられ。
私たちはその前年に1年間。。
パリや南欧の放浪生活を切り上げて帰ったばかりで
まだ何をするとも決めてない時期だったこともあり。
「花なんか写したことないけどやってもいい」と。
植物園や知人の変わった花を植えておられるところなど。
四季様々な花を写し始めていました。。
たまたま信州の花卉園芸の展覧会があるのを何かで見つけて。。
4泊5日ぐらいの撮影に私も付いて行き。

まだ「ペンション」ができ始めた時代。。物珍しさもあって。。
原村のペンションにも泊まってみたのです。
その頃の原村はペンションもまだ数件しかなく。周囲は原野のままで
野生の苧環や吾亦紅が群れ咲き。なんとも魅力的な光景でした。

泊まった翌朝。村役場主催の園芸種の花の展覧会を見に行き。
出品されていた農家のおじさんたちに何気なく
この辺りの地価はいくらぐらいかと尋ねてみたら。
「今なあ。役場で別荘地にする土地を売ってる。
ここの2階の事務所にあるわ。カタログもろといで」と言われる。。
地価を知りたいだけで買う気なんかないのに。
それでもそのカタログをもらい。
もらって来たカタログをおじさんたちは。。またああでもないこうでもないと物色されて。
「買うのやったらここがええ。後ろに小さな小川も流れていて。隣近所が少ない」
そんなこと言われたって。。お金もないのに。土地なんか買われへん。。
と思いながら。。
ちょうど昼時、ここらあたりに食堂がないかとまたおじさんたちに尋ねたら。。
その中のお一人が。。
「わしも帰るとこや。付いといで」と言われて、車について行きました。
道中。。食堂らしきものは見当たらない。。
気がつくと普通の民家の中庭に車が止まり。。「ここで降りて。。」と言われる。
ええ?ここに店があるの?
と不思議そうに思ったら、なんとその方のご自宅で。
「母ちゃん。この人たちに蕎麦を湯がいてやってんか」と台所に声をかけられ。
全く知らない家で美味しい蕎麦をたっぷりとご馳走になり。
人の暖かさに触れたと言うか。
あの幸福感は今だに忘れられないものとなりました。。

後日談。。にはなりますが。。
あの幻想的な野生の苧環に惹かれて。。
その土地を買いました。
その頃持ち金は一銭もなく。。土地についていた村のローンを使って。。
そして今だにその土地を持っています。
もう住みには帰らないのにねえ。。と言いながら。。

ベランダに今年植えた苧環に。。
白い花が咲きました。。原野に群れ咲く野生の苧環には比べようもないけれど。。
懐かしい気持ちで眺めました。。







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by fusk-en25 | 2018-05-17 07:03 | 追憶 | Comments(8)
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鯉のぼりには郷愁を覚える。
子供の頃。お雛さんを買って欲しいとは思わなかったが。
雄大に泳ぐ「鯉のぼり」は欲しかった。祖母に買って欲しいと言うと。。
「なんぼなんでもそれだけは買われへん」と苦笑しながら却下された。
祖母自身も男に生まれたかったと言うから。
家の屋根に登ったり。昆虫採集をしたり。
男の子のやりそうなことを私がしても叱らなかった祖母が。。
さすがに女の子しかいない家に鯉のぼりを立てることはできなかったのだろう。
五月晴れの空の下。。田園に翻る鯉のぼりを見るたびに残念だなと思う。
この鯉のぼりは2013年に義弟達と訪れた白川郷で泳いでいた。

日本にいた頃だから。。もう40年以上も前のことになるが。。
端午の節句に
粽を川端道喜に注文したことがある。
その頃大阪では阪神百貨店の菓子売り場の隅にひっそりと
小さなショーケースにその日の分だけ水仙粽と羊羹粽の2種類を
ほんの少しだけ置かれていて。数が少ないから早くに売り切れることも多く。
買うと「今日中に召し上がって下さい」と必ず言われてもいた。
川端道喜は他では注文販売しかやっていなかったと思う。
中でも私は葛でできた「水仙粽」が好きで、
「いっぺん。お節句に川端道喜に注文して買いに行かへん?」と夫に相談すると。
「行こか。帰りに京都の家に寄ってもいい」という返事に。
いそいそと何日か前に注文して下鴨まで出かけた。

その頃の川端道喜は。周囲のことはもうあまりよく覚えていないが。
鄙びた里の一軒家の風情で。田舎屋風の玄関を開けると土間があり。
土間の端っこに竹で編んだ大きな盆籠に粽だけが何束か置かれていた。
おそらく土間の奥が仕事場なのだろう。暖簾をかき分けて大人しそうな女の人が。。
「ご注文を受けたまっておりますか?」と名を尋ねられ。
名のるとクルクルと粽を紙に巻いて渡してくださった。
たったそれだけの。なーにも飾り気のない店構えに。。またかえってそれが清々しく。
こんな買い物はいいなあと思ったものだった。

勿論、夫の実家の分も注文していて。
道すがら錦の市場で美味しい言われていた柏餅も並んで買って。
持って行った。粽を見た途端に姑が。。
「ええ?あんた。大阪から粽なんか下鴨まで買いに行ったん?物好きやな。」
「暇人やと思てるやろ」と笑いながらも。売り言葉に買い言葉。。
「そら。電車道の餅家にも粽ぐらいは売ってるわな。。」
「ふん。あそこの粽は美味しいねん。夕方に買いに行こと思てた」
要らんかったら持って帰ると言うと。「そんな珍しいもんやったらもろとく」と答える。
姑らしいなあとは思いながら。。
柏餅は一緒に食べて「この柏餅なら別に錦で並んで買うほどのことないなあ」などと
みんなで文句も言い合い。
和気藹々だった。昔の節句が懐かしい。

お節句のために粽もどきでも作ろうかな。。と笹の葉を水につけました。



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by fusk-en25 | 2018-05-05 07:12 | 追憶 | Comments(6)

懐かしい味。。

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数日前に京都から来た友人が持って来てくれた
鰊の甘露煮。
勿論。。かの有名な店のもの。。

有り難くいただいて。「鰊蕎麦」を作って食べた。
真空パックに2切れ入っていて。袋のまま温めると風味が増すと書かれている。
いっぺんに2切れは食べられない。
おつゆたっぷりの蕎麦にするから、蕎麦湯は飲まない。
茹で汁に鰊一切れを5分ぐらい入れて温めてのせた。
彩に花麩も入れて。
青みは何日か前に蒔いたラディッシュの貝割れ菜をのっけた。
懐かしい味で美味しかった。

鰊蕎麦を売り物にしている松葉は。。
大阪人の私から言わせると。
京都のちまちました格好ばかり美しくて
その割にお腹にたまるようなものがなく。
しかも値段だけはやたら高い京都の食べ物屋の水準から見ると。
味も値段的にも頃合いの店で、麺好きの私たち家族は度々食べに行った。

10年ほど前になるが。
両親の墓参りに夫と二人で京都に行き。
京阪電車を降りて河原町をぶらぶら歩いて。
「蕎麦でも食おうか?」とやっぱり松葉に行った。
マンの悪いことにその日店は臨時休業をしていて、
ただし近所の支店が営業していると張り紙がしてある。
そこでもいいかと入って。いつもの鰊蕎麦を頼んだと思う。
味はそう悪くはない。ただしサーヴィスがひどく悪かった。
本店も行き届いたサーヴィスをする店ではない。
でもこじんまりしたせせこましい蕎麦屋だから
サーヴィスの悪さも庶民的な感じでそうも気にならなかった。
支店の方はまただだっ広い店で。昼時の忙しさから少し外れた時間だったせいか
たまたまお客も少なかったからかもしれないが。
女店員が声高に世間話をしている。
それを聞いていると蕎麦が喉につかえるような気がした。
何も高級レストランのような給仕をしてくれと言っているわけではない。
でも休んでいるらしい同僚の悪口を大きな声で話すことはないじゃないか。。
運んで来た蕎麦もどしんと置かれた。
そそくさと蕎麦をかきこんで。
外に出て「躾のできてへん店やなぁ。。」夫と二人で顔を見合わせた。
そういえば勘定を払っても「有難う」とも言われなかった。。
「おおきに。またお越し。。」と言われても。もう行けへんけど。。
 

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by fusk-en25 | 2018-04-04 08:01 | 追憶 | Comments(4)

桜の頃に。。

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満開の桜を見ると。。確かに美しいとは思う。
華やかで妖艶でしかもひらひらと舞い散るのまで美しい。

でも満開の桜を見ると。。
いつもなんだかもの哀しい気分が起こってしまう。。
前にも書いたが。。(https://kiramekuhi.exblog.jp/25101708/)
あの日も桜が満開だった。。
姑があっという間に逝ってしまった日。
62歳で。。いくら慌て者の性質だからと言っても。。
「ほな。さいなら」とあんなに早く逝かなくても良かったじゃないか。。と。

早朝の確か5時頃。舅から電話がかかってきた。
「お母ちゃんおかしいねん。ちょっときてくれへんか?」
1週間前から頭が痛いと寝ていた姑。
虫が知らせたというのか夫も私もその夜は寝つきが悪かった。
電話を切って。すぐに4歳の息子を毛布でくるんで車の後部座席にほりこみ。
早朝のこと車の渋滞も少なく、大阪から京都まで飛ばしに飛ばした。
8時ごろまでには着いたか。
着いたところに夫の従兄のライトバンの後部座席に。それも毛布で包まれた姑が帰ってきた。
「ええ。。どうしたん」
「お母ちゃん。死んでしまった」
救急車を呼ぶ時点で既に亡くなっていて。病院に搬送はされたが、常勤の医者に。
このまま連れて帰ったら解剖もしなくていいと言われて死亡診断書だけもらって帰ってきたとのこと。。
周囲は全員。まさか?と呆然たる面持ちだった。
兄嫁たちも姉もまだその時刻には着いていない。
近所に住んでおられた姑の同郷の幼馴染のおばさんが。
姑を清めてあげると言って準備をされだした。
「おばさん。こんな着物でよろしいの?」とたまたま側にいた私が。
姑の箪笥の何枚かの着物の中から、私好み?の着物を選んで。。
その着物を見たおばさんが、一瞬。はっと息を飲んだ顔をされた。
すぐ後に「それでいいと思います。」とニッコリされる。
今になって思えば。。
おそらく姑の持っていた着物の中で一番高価な。。よく覚えてないが結城だったような気がする。
着物を買うのにもその方と相談していた姑のこと。
高価なものであるのはご存知であっただろう。
「物の知らん嫁さんやな。。でもこれ着れて良かったなあ」と思われたかどうか。。

もしもあの世と言うところがあったら。
入り口で。。「おまはん。ええ着物を着てるな。」との門番の問いに。
「物知らずの嫁が着せてくれましてん」と答えて、
ちょっと嬉しそうな誇らしげな顔でもしてないかと。。変なことを夢想もして。。
「あの着物を着ていって。おかあさん。良かったね」
どこかの箪笥の肥やしになるより。よほど良かったと思う。

今日は姑の祥月命日でした。
桜の代わりに見頃の連翹の花を手向けましょう。。





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by fusk-en25 | 2018-04-03 07:26 | 追憶 | Comments(8)
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自分勝手に色物シリーズなどと考えて。。
空さえ写せば「空色」になる?
ちょっとそれは簡単すぎない?と自分でも苦笑いして。。

オオイヌノフグリやワスレナグサもまだ本格的でない。。
思い余って。。
ちょっと前に作った箸置きをならべて。。
「ルネ・マルグリット」にあやかった訳でもありませんが。
たまには違った色もいいかと作った空色の鳥の箸置き。
ちょっと食卓が明るい感じにはなりました。
大きさは以前の白とほぼ同じ。箸置きはこの小ささが好みです。

こまこまとこんなものを作ったり、料理をするなんて。
中学や高校の同級生は。。
「まさかお前が飯を作って食べさせてくれるとはなあ。。」
3年前に帰った実家で昼ご飯に招いた友人たち。
口を揃えて言いました。。

中学2年の通信簿に家庭科は5段階の2をつけられたことがあって、
懇談会に行った祖母が通信簿を見て驚愕。。
「せんせ。他の教科ならともかく。。うちの孫がまさか家庭科が2とは。。」
と尋ねたところ。担任も
「僕も。。テストの点数もいいし。変やなと家庭科に聞きましてん。
そうしたら、授業中の態度が悪いと言う返事でした。」と苦笑いされたそうな。。
祖母もそれなら仕方がないと。不平タラタラ帰ってきました。
本人はそんなにひどい態度でもないとは思っていても。
どこかに家庭科なんか?習うことない。
と馬鹿にしている気分が見えたのかもしれません。
その頃私はすでに自分の部屋の掃除も洗濯も全部自分自身でやっていて、
10歳ぐらいからは食事の手伝いもしっかりさせられて。。
家庭科なんか知ってることばかり教えられ。。なんとつまらない授業とは思っていました。
そんな気持ちが態度に出たのでしょうか?

ちなみに私。。
中学家庭科2級の教員免許も持っています。(一度も使わなかったけれど)
教育実習は優の上の「秀」をもらったのになあ。。

空色の箸置きを並べながら。。
人間のイメージなんか。。変わるものだと。。思ったりもして。
今なら。。
通信簿に2をつけたあの家庭科の教師に会ってみたい気もします。



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by fusk-en25 | 2018-03-28 06:56 | 追憶 | Comments(4)

思いに耽る。。

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夫がまだいた頃だったから。。もう10年ほど前にはなるが。
両親の墓参りに京都に行った。
4月半ばで、やたらうららかな日和に。。
いつもならタクシーに乗ってさーっと墓地まで行ってしまうのに。
たまにはゆるゆるバスに乗って。坂道を歩いていこうと言うことになった。
バス停に行く道すじに「伊と忠」の履物屋の前を通った。
この店の下駄は好きだった。
特に「あと丸」と言う名前通りに後ろがポックリのように丸くなっていて、
表は黒の塗りで裏の見えないところに朱赤が塗ってあった下駄に。
深紅の鼻緒をすげて履くのが最も好きだった。
春から夏の終わりまでこの「あと丸」の下駄をゴム草履の代わりに
こちらに来るまで20代の初めから10年ほどは何足も履き潰した。
「今でもあと丸があるのかしら?」
ウインドウには見当たらない。もう無くなったのかな?とウインドウをしげしげ見渡していたら。。
中年の女の店員さんに「何かお探しですか?」と声をかけられた。
買う目的はなかったからそう告げて。
ついでにウインドウに見当たらない「あと丸はもう無くなったのですか?」と尋ねてみた。
「ございます。お見せしますからどうぞ中に入って見て行ってください」と勧められて。
でも日本に住んでいないこと。石畳では下駄を履くこともなくて、買えないと断った。
「買っていただかなくても構いません。まだその下駄を作っているのを見ていただきたいのです」
と返事が返って来て。それならばと店に入って。
店の奥から出してこられたあと丸を何足か見せてもらってお茶まで呼ばれた。
帰り際に「よう見てくれはりました」とお礼まで言われて。。
何とも。優雅な客商売だと。夫とも店を出てから顔を見合わせ「京都らしいな」
「ほっこりした」とちょっと幸福な気分になった。。

今度、京都に行ったら。もう履くことはおそらくないけれど。
持っているだけの。。楽しみのためにあの下駄を買ってもいいかな?なんて気もする。
藍染の浴衣にやっぱり黒塗りのあと丸に深紅の鼻緒をすげて。。
素足で履いたら素敵だろうなあ。。と。

私自身の歳月だけは随分経ってはしまったけれど。。
柔らかな夕陽を見ながらそんなことを。。夢想していた。






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by fusk-en25 | 2018-02-26 08:48 | 追憶 | Comments(6)

センチメンタル。。?

昨年の今日。。
父が生きていれば100歳だった。
1年が過ぎて、だから今年なら101歳。。
単に足し算をしただけのことで冗談にもならない話だが。
32歳で亡くなったのが1949年の誕生日と同じ1月30日。
もうすでに70年近くにはなる。
親の50年忌を執り行う子供は不幸だと言われる。
その50年なんか。。私はとっくに通り越して。もう70年も経ってしまった。
もしもあの世というものがあって。
父なら32歳のままで。2歳の私しか知らないのだから。
向こうで私と出会ったら。どう思うだろうなんて
ふざけたこともちょっと想像したりもする。
「お前。えらいばーさんやな。俺の娘は赤ん坊の筈」とでも言うだろうか。

70年前に2歳10ヶ月だった私は、もちろんその日のことは全く覚えがない。
祖母の背中に背負われて。。父の療養先の地で、
「怖いよう、怖いよう」とつぶやいていた記憶がうっすら残っているが。
それが本当にそうだったのか。
それともその時のことを周囲の人たちが話しているのを後になって聞いたのかは
わからない。

ただ流石に祥月命日を迎えると。。
ちょっとセンチメンタルになる自分がいる。
こう言う思いは何年経っても薄れないのだなあと
少し可笑しい気持ちにもなりながら。。思う。
さて、今日も酒好きだった父に免じて、普段一人では飲まないビールの缶を開けようとしようか。。。
「101歳に乾杯。お父さん。」

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by fusk-en25 | 2018-01-30 07:26 | 追憶 | Comments(1)
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月見にぴったりの。。。と思えるような薄が。
道はたの植え込みの。。歩道を広げたようなコーナーに見事に植えられていた。
「頂きたいなあ」と夜陰に紛れて刈り取っても、家までの20分ほど持って歩く間に。
いかにも「花泥棒をしてきました」みたいになるだろうと。。諦めて。
見るだけにした。惜しいけれど。。

秋の野の草は薄にしても、吾亦紅にしても。。女郎花にも、
なんとも風情があって、しかもそれなりに自立していると言うか。
しっかり花がそれぞれのイメージを持っているような気がする。

祖母は月見を大事にしていた。
「お月さんは女の神さんやさかい」
縁側に置いた小さな机にたっぷり薄や萩を飾り。
団子や里芋をを供えて、蝋燭を灯し、月の出からずーっと座敷に座って眺めていた。

「うちはなあ。。絶対白い団子は買わへんのや」
たった一度。町中の何軒かの菓子屋を探しても餡の巻いた団子がなくて。
仕方がなく白い団子を供えた年があったと言う。

祖父は6人兄弟の長男で祖母が嫁した時、一番末の弟は3歳だったと。
「姉やん。姉やん」と懐き。祖母も可愛がっていたらしい。
その義弟が戦中の、30何歳かの時に大学病院で手術することになり。
「簡単な手術やし、姉さんにきてもらうこともない。3日もすれば帰ってこれる」
と前日祖母に会いにきて言い置いて出かけ、
「そう言うなら仕事の帰りにちょっと寄ってくる」と夕方見舞いに行ったはずの祖父が。
何時になっても何時になっても帰ってこない。心配で一晩寝ずに待っていた朝に、
ボソッと祖父が「お通夜してきた」と帰ってこられた時はもう暗澹たる気持ちになったと。
それ以来、うちは「げんの悪い白い団子」は買わへんのや。
毎年の月見の夜に。何十年経っても嘆きながら義弟を偲ぶ話を繰り返していた。
なんでも手術をした場所の血管を繋ぎ忘れての。。
今なら医療過誤になるようなことだったらしい。

中秋の名月。餡の巻いた団子を作って眺めたいと思う。



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by fusk-en25 | 2017-10-04 08:47 | 追憶 | Comments(2)

誕生日に。。

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孫の10歳の誕生日。
本人の希望で夕飯はセルフサービス食べ放題の鉄板焼きを食べに行った。
なんとも愛想がないメニューだが。。
それ以外ならマクドナルドとでも言い出しそうで。。。
デザートは食べずに帰って。
これまた本人の希望の。。昨夜焼いておいたチョコレートケーキにろうそくを灯す。

10年前のこの日。
逆子だった孫は帝王切開で生まれた。
朝9時に分娩室に入って30分ほどで生まれる予定になっていて、
遅くとも12時ごろには連絡できると言う話だった。
それが。。12時になっても1時になっても電話がかからない。
どうしたのだろう?と私たち夫婦はもう気が気ではない。
3時過ぎに嫁のお母さんから電話がかかって。。
「何か連絡がありましたか?」と尋ねられた。
「いいえ。電話の前で待っているのですが。。」
「うちもです。」もう少し待とうと言うことになって。。
5時になっても6時になっても連絡がない。
もう夫は心配のあまり顔色が変わってきている。
7時に産院へ行ってみようと出かけようとした玄関口で電話が鳴った。
「やっと出てこれた。」分娩室に急患が次々に入ってきて
手術を伸ばされ、ずーっと夫婦共に分娩室に留め置かれたまま、連絡ができなかったと言う。
「無事に生まれたん?」「もちろん母子とも元気で。生まれるのには5分もかからなかった」
「あーよかった」とへなへなした気分を立て直し。
明日、見に行くわね。と返事して。。
あれから10年。無事に過ぎたことを今夜もみんなで祝った。

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by fusk-en25 | 2017-10-02 07:00 | 追憶 | Comments(6)

甘い?

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すっかり晩秋?と思えるような気温になった。
しっとりとした長雨も降り続いて。長い冬の始まりかしら?とすら思える。
雨上がりの夕刻、雲にほんのりと夕焼けが映る。なんとも綺麗な光景だった。

確か、1歳の赤ん坊を連れてパリ・南仏を拠点に放浪していたすぐ後のことだから
1975年頃だと思う。
その頃父方の伯父が、テキスタイルデザインの巧房をしていて。
布地の図案を描くのが主な仕事で。
40人近くの人を雇っていたから。巧房としては大きい方だったのだろう。
伯父の道楽気味の考えで。いつまでも図案から図案を描き写すのはおもしろくない。
できれば実際の花の写真を見てそれからオリジナル?の図案を作りたいと言い出して。
夫に花を写してくれないかと持ちかけてきた。
日本に帰ってすぐのことでまだ働いてもなかったし。
そんな写真も面白いかもしれないと半社員みたいな形で仕事を始めた。
花の写真だから京都の植物園や大阪市大の植物園に行って写すのだが。
機材を持って歩くのは重くてカナンと車を買うことになった。

たまたま夫の実家に行って。舅と夕飯を外に食べに行って。
その話になった。
「今度車買うねん」「ふうんそうか。そんならわしもちょっとすけたるわ」と言う。
横で聞いていた私がすかさず「あーまい親。」と言うと。
舅は「えらい甘い親で悪かったな」と憮然としていた。
それからしばらくして。また実家に行った。
私の顔を見るなり姑がクスクス笑いながら。
「あんた、こないだお父ちゃんにあーまい親って言うてんてな。
お父ちゃん怒ったはったで、有難うと礼を言うならともかく、あーまいて言うやつや、てな」
「そやけど、ほんまにそう思てんもん」「あんたらしいわ」とまだクスクス笑ってる。
「でもお父ちゃん、お金くれはったで」「いっぺん言い出したこと、お父ちゃんもやめはらへんわ」

その時に買った 真っ赤なシビックで、舅や姑ともあちこちに行った。
もうその舅が亡くなって25年が過ぎる。
今日は舅の祥月命日でした。


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by fusk-en25 | 2017-09-10 07:07 | 追憶 | Comments(4)