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煌めく光の中で


by fusk-en25

天気予報の間違いも。。

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天気予報の画面は曇りだった。
曇りばかりと諦めていた空が晴れ出すのは特に嬉しい。
こういう間違いなら受け入れる?
青い空を見上げては。。喜び。
昼に見える月は。。なんと柔らかい感じなんだろう。


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1月の半ばに。。
私より1歳下の父方の従妹が亡くなった。

近頃は親世代だけでなく。
同世代の知人の訃報もちらほら聞くことがあるとはいえ
75歳という年齢は。今の時代なら、長生きと言えないかもしれない。
でも。
彼女の生い立ちの。
母親が子宮の奇形で帝王切開、仮死。未熟児で生まれ。
1947年当時のこと。育つかどうか危ぶまれたという。
保育器もちゃんとしたものがあったかどうか?
しかも生後3ヶ月ぐらいに肺炎になり。
その時。まだ生きていた(1年後の1949年には死んでしまう)私の父が。。
「あの薬局なら薬も持っているかもしれない」と言って。
叔父が薬を手に入れることができて。従妹は助かったという。
ことあるごとに叔父は。
「新聞記者をしていた兄貴だから。。薬局のことも知っていたのやろうな。
娘の命が助かったのは兄貴のおかげや。兄貴が今も生きていてくれたらなあ。」と。
父が早くに死んでしまったことを常々嘆いたものだった。

その後も従妹は病弱ながら。
結婚もして娘が二人。孫は3人いるなどとは。
生まれた時の未熟児だった赤ん坊から。誰が想像できただろう。
ただ。。40代を過ぎてから。。
幼い頃の病気のせいかC型肝炎で長く患うことになって不自由はしていた。
でも。。私が帰国した時は。
住んでいた九州から私の実家の大阪まで必ず会いにきてくれて。
何を喋るでもなく。ただ顔を見合わせるだけなのだが。
そういうことも。。もう無くなってしまったと思うと。
なんとなく。。やるせないような寂しい気はする。
でも。。諸々の事情から思うと。
亡くなった知らせを受けた時は。
「よく。75歳まで生きたなあ。」と労ってやりたいような気さえした。

その赤ん坊の命を救ったという私の父は。。
1949年の1月30日に。肺結核で亡くなり。(https://kiramekuhi.exblog.jp/29405581/
今なら結核など死ぬことも無くなったと思うと。
人間の寿命というのは不思議なものだと。つくづく思う。

もしも。。あの世というものがあるならば。。
30数年前に他界した叔父と74年前に死んだ父が。
従妹を迎えているだろうか?
「死にかけて生まれてきたのに。お前長生きしたね。。」
とでも話しながら。。

幼い頃の従妹の写真は
どちらも私の実家にて。
着物を着ている私はおそらく10歳ぐらいの秋祭り。
叔父と一緒にいる従妹は8歳ぐらいか?
今日は。。32歳で死んだ父の。。74回目の祥月命日でした。
(毎年のことながら。。ちょっとセンチメンタルな気分の? 私。。)


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Commented at 2023-01-30 17:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by fusk-en25 at 2023-01-30 21:22
> 鍵こめさん
とってもいい話ですね。
赤ん坊が助かるのは嬉しい。
by fusk-en25 | 2023-01-30 09:55 | 追憶 | Comments(2)