ブログ「梨の木日記」の梨の木さんのアラバマ物語の感想から。
トルーマン・カポーティに繋がって、
この作家の小説は30代で嵌まって読んだ記憶があるから懐かしかった。
特に好きだったのはアラバマ時代と言われる
「草の竪琴」や「クリスマスの思い出」で
有名な「ティファニィで朝食を」はその頃あまり好きでもなかった。
今ならどんな感じに読めるだろうと。
月の初めから古い本を引っ張り出して読み出した。
まず「草の竪琴」を
アラバマの草の匂いまでしてくるなあと思いながら読んでいて。
細部は忘れていても自分の中にイメージが濃厚に残っているのを発見したりして。
続きに「夜の樹」や「カポーティ短編集」も。
短編はどれももう完全に忘れているのだが。
読んでいるうちに変な現象が起こってきた。
普通は読んでいる時点で次々に絵が浮かぶ、
今回はその浮かぶ絵がまだ読んでいないほんの少し先まで見えてくる。
もちろん30年も前とは言え読むのは2度目だから、
以前一度想像した絵がどこか記憶に残っていたのだろうと言ってしまえるかもしれないが、
すっかり忘れている話なのにちょっと先が浮かんでくるのはなんとも不思議な感覚で
それはまた既視感でもない変な状態だった。
本を2度読むことはほとんどないから、再読とはこんな風になるのかと思ったりもして。
最後に、映画にもなって有名なのに
好きでなかった「ティファニィで朝食を」はパスしようか?と思いながらも、
読み出すとこれが意外と面白く「ティファニィで朝食を」はこんな小説だったのか?
と新たな発見をしたような思いがする。
私の年齢からくるのか?それともこの30年近くの間に
西洋の翻訳小説をかなり読んだ結果、アメリカやニューヨークのことが以前より理解が深まったからか?
行きつけのバーの喧騒や匂いまで想像できる気がした。
来年は持っている「冷血」や「遠い声・遠い部屋」も読んでみようか?
読んだ本の感想までは書いていないが
25年前から完読した本の題名だけは小さな手帳につけている。
今年はこの「ティファニィで朝食を」が最後の本で。通算すると3017冊になった。
後何年?後何冊の本?が読めるだろうか。。。