カルチャーショック
2015年 06月 25日
高校生の頃だから、もう半世紀も前の話だが
仲良くしていた人の家に時々遊びに行っていて
その頃ではまだ珍しかったソファベットを買われた時に行き合わせたことがある。
布団の上げ下ろしが面倒なので私はすでにベットで寝ていたが
我が家でも親たちはまだ毎晩布団を敷いて寝ていた。
「いいですねえ、ベットにもソファにもなるなんて」と見ていたら
「このソファのカヴァーを母に作ってもらう」と言われた。
まさか。。こんなカーブのある大きなものにカヴァーが作れるのだろうか?
なんとシーツか何かで作られた真っ白なカヴァーがすでにソファにかかっていた。
おばさんは和裁で生計を立てられていた方だったから、
でもその時の私には「カルチャーショック」に値するような出来事だった。
「やろうと思えばなんでもできる」と思った気持ちが後々まで私の中に残っていて
「うちの母でも役に立つことがあるのだなぁ」と笑われたが。
どんな作業でもやればできると思える原点になった大きな「カルチャーショック」だった。
手前左側にある生成りの一人がけ椅子のカヴァーも私が縫いました。
fuskさんはなんでも恐れず挑戦する人だと思ってたので、カルチャーショックを受けたことがあるとうかがうと、わたしにはそちらの方がびっくりです。。。。
昨日の写真の青、すごく好きな色でした。
すみません青いソファの方は部屋に光が足りないような気がして、写真をいれかえたの。そんなところまで見てくださっていて恐縮です。
私は意外と?臆病ですし。考えすぎて?前に出ないこともあるのですよ。下手な考え休みに似たりと言うと休んでばかりじゃないかとよく言われました。
でも私の若い頃、周囲にいる主婦?たち、なんでも自分で作ってしまいましたね。今でもそれの記憶に押されて「なんでもできる」と思うことにはしています。
10代のころ、家具を手作りしてしまう女性がいて、カルチャーショック」
「どんな作業でもやればできる」ということ、私も10代の頃にそんな気持になったことがあったなあと思い出しました。
家具を自分で作ってしまう女性がいたのです。なるべく材料を買わず、海辺で流木などを拾ってきて。私も将来、自分の道具は自分で作るんだ、と思ったものでした。それが現在につながっていないのが残念ですが^^
今、暮らしている土地では、身の回りのものを手作りする人が珍しくありません。とても豊かな生き方だなと思います。
それにしても、お部屋の美しいこと。素敵です。
私の若い頃、物の少ない時代でしたから、リフォームなんて当たり前。2段重ねの古い和ダンスを塗り替え、取っ手も洋風につけ変えて、二つを別々にベンチのようにしたり。椅子を張り替えるのも普通?でした。
遅くまで起きておられますね。今夜もバーボン?
fuskさんの「カルチャーショック」の話を読んで、
思い出したことがあります。
小学4年生の時、友達の家に遊びに行ったら、
そのころ、その年齢にしては珍しく「自分の部屋」を持っている子で、
真四角な小さな部屋に勉強机やベッドがおさまっていました。
そして、何か荷物の入ったいくつもの段ボール箱を積んで、
タータンチェックの分厚い生地でくるんで、ソファのようにしていたの!
いまだに、そのときの驚きを、ハッキリと覚えています。
その後の、私の「模様替え好き」は、その影響だと思うし、
いや、すべてにおいて、それが原点だったのでは??と、
今になって思います。
そういう原点ってありますね。
私は一人っ子で自分一人の部屋を持っていたから
高校時代には部屋の模様替えはもうやってました。
新婚時代。6畳2間の文化住宅(そんな言葉知ってますか?笑)から始めて。夫が勤めている間に模様替えをするから、帰ってきて間違った家のドアを開けたのかとびっくりしたと言ったことがありますよ。
私は初めてお会いした頃、fuskさんから
「なんだって人の手で作れるんだよ!」という言葉を聞き、
そしてfuskさんのお友達のお家のソファカヴァーを
みんなでワイワイ言いながら作った時に
すご〜くカルチャーショックを受けました。
そのお友達のお母様からfuskさん、そしてfuskさんから
私と、カルチャーショックが続いていたとは!
考えてみるとすごい事ですよね。
そしてfuskさんの言葉も私が難しいものを作ろうとする時の
励みになっているんですよ。
私の原点のそのまた原点を知る事が出来て嬉しかったです!
こういう何気ない会話ができるブログ、いいですねぇ。
そうだったね。みんなでワイワイ、ミシンまで買いに行ってソファの張り替えをやりましたね。夜中に完成した時は「出来た。出来た。」って大騒ぎもして。。。笑。