煌めく光の中で


by fusk-en25

もしもなら。。。

私の祖母は45年前に75歳の時に脳梗塞で倒れ、意識不明になり。
もともと高血圧で、心臓にも軽い持病があったから
高齢でもあるからと主治医にも見放されて、入院もせずに自宅で死ぬのを待たれていた。
それなのに4日目に意識が戻った。
もちろん、半身不随・失語症の後遺症は残った。
3ヶ月ぐらいは流動食だけで生きていたと思う。
当時のことだから簡単なリハビリの手引きはあったものの。
訪問介護のシステムもデイケアなどというものもなく、入院させるか、自宅療養しかなかった。
どうせそんなに長くもないだろうと自宅で看取ることにして。

そのうちに歩けないが座れるようになった。這うこともできる。
言葉は「はい。いいえ。ありがとう。いらん。知らん。あかん。嫌、そやなあ」
ぐらいが言えるようになった。
この幾つかの言葉で死ぬまでの1年8ヶ月暮らすのも、今から考えると大変だっただろうが。
私が24歳、母が46歳の若さで、そんなことを気にかけてもやらなかった。
病人のくせに祖母は明るかった。体が動かなくてもめそめそしない。
いつもニコニコ笑っていた。
見舞客が来られても相手の話に上手にふんふんと相槌を打つから。
客は祖母がわかっているつもりで話されるのだが
その人が帰られてから祖母に「今来た人は誰だか知ってるの?」と尋ねると。
「知らん」と答えるのだからその役者ぶりは傑作だった。
祖母の病中、半年ばかり私が結婚して東京に住むことになって。
母も働いていたし。昼間は半身不随の祖母が一人で暮らしていた。
昼には母が朝に炊いたお粥を電熱で温め、ポットに入れたお湯でお茶を飲み。
排泄はベットの横に置いた簡易トイレで処理していた。
全く手のかからない病人だった。
その当時は夜間料金が適用されて夜の8時になると電話が安くなるから
失語症なのに東京の私に毎晩電話がかかってきた。
半年ほどして夫とともに実家に帰り祖母が死ぬまで一緒に暮らすことになるのだが。
その後の1年余りの間にも、小さな血管が詰まったり切れたりするのか。
月に一回ぐらいはひきつけを起こす。今にも死にそうに思えてそれはちょっと怖かった。
そして最終的には、私の息子が生まれる10日前に亡くなる。
寝たきりの病人と赤ん坊の世話をするのは大変だろうと死期を悟ったのだろうか?

周囲の人たちからは「入院もさせはらへん」と陰口は叩かれた。
でもその時は自宅療養がベストだと私も母も思ってはいた。
本当はどちらが良かったかはわからない。
家にいたからあまりぼけなかったと思うのも私の自己満足にしかすぎないかもしれない
たとえ手がかからない病人でも。長年一緒に暮らしてお互いの気持ちが通じる間柄であっても、
祖母の世話を面倒だと思ったことは度々ある。
でも介護していると思ったことは私にはない。
むしろケアという言葉は嫌いだった。一緒に暮らしているだけやんか。。
とその当時も思っていたし。今もその気持ちは残っている。
「おばあちゃんがいたら留守番になったね」といつまでも話したものだ。

今日はその祖母の生まれた日。もしも生きていれば121歳の誕生日になる。

f0221050_749496.jpg

[PR]
# by fusk-en25 | 2016-06-21 08:17 | 思う | Comments(2)

桃を買う。そして煮る。

f0221050_9263232.jpg

金曜日のマルシェで、どっさり果物を買った。
「桃を1kg」と言ったら、「2kgなら2ユーロだから」とさっさと2kg計られてしまった。
まあいいかどうせこの固さではコンポートにするのだから。
帰ってきて勘定したら、1個おまけもしてくれて12個あった。
日なたに置いて、完熟を待つ。
3日目に触ってみたら、皮がいくらか萎びてきそうで、炊くことにした。
きび砂糖を煮溶かし、皮を剥いたレモンの薄切りを3片ほど入れてまずシロップを煮る。
いい加減な私は砂糖も計らず、シロップを舐めながら甘さも決める。
煮汁が沸騰してから数分煮詰め、
4つ割りにした桃を入れ、再度煮汁が沸騰してから4、5分煮て桃を取り出す。
桃を瓶に入れ、残りのシロップをまた数分煮詰めて冷ます。
桃の上に冷めたシロップを注ぐ。
いい加減な煮方だから冷蔵庫で1週間ぐらいの保存しかできないが。
どんなに美味しくない桃でも立派にデザートにできる程の味にはなる。

キィウイは8個、バナナが6本、それぞれが2ユーロづつで。
なんとメロンはかなり完熟気味だったが2個で1ユーロだった。
これだけ買って7ユーロとは。。
いくら食べてもいいですねえ。と。
夕飯に来た友達に値段を話すと感心?された。

f0221050_9292260.jpg

f0221050_9323228.jpg

[PR]
# by fusk-en25 | 2016-06-20 09:37 | ままごと | Comments(4)

久しぶりにSFを読む。

f0221050_10304964.jpg

誕生祝いに本をもらった。
「紙の動物園」ケン・リュウ(劉宇昆)
初めて読んだ作家だが。
2002年から2013年までに発表された70編の短編の中から15編を選んで編まれていた。
中でも書名になった「紙の動物園」は秀逸だった。
コネカチットに住んでいるアメリカ人と結婚した中国人の母親が
彼女が作った折り紙の動物に息を吹きかけると。
その折り紙の動物が生きているように動く魔術のような話なのだが。
ファンタジーとしての面白さより、その家庭を取り巻くアメリカの状況が
浮き彫りにされているようで、共感を感じる。

この話の背景になっているアジア人の悲しみを思うと、
私がここで暮らして、そういう場に行き合わせなかったからかもしれないが。
あからさまに東洋人として差別を受けたことはほとんどない。
様々な人種が住むパリの状況からも、
しかも日本が経済大国になってきた時代の恩恵もあったのだろう。
私が日本人とわかると好意的な接し方をされる場合の方がどちらかといえば多かった。
それでも「紙の動物園」の背景にあるアメリカに住むアジア人への意識は
なんとなくわかるような気がする。
異国にいる者の持つしんどさとまでは言い切れないが。
自分と違った文化圏にいる緊張感に似たようなものがあることも、
言葉の不自由な場所で、たった一人異邦人として暮らす儚げな気持ちも理解できる。

私自身は望郷の念はほとんどない。
紙の動物園の母親のように帰る場所がなくなったわけではないから、
帰りたければいつでも帰れる安堵感もあるのだろう。
もしも帰りたい気持ちが起こっていたら、とっくの昔に帰っている。
だからと言ってここに住むのが絶対に素晴らしいなんて言う気持ちもない。
なんとなく住んでしまって、時が経ったぐらいの気楽な(いいかげんな?)感じの方が強いが。
自分自身が常に日本人だという意識は日本に住んでいた頃より濃厚に持っているとは思う。

この本の中の他の短編はそれなりに面白い設定もあるが、
まあ言えばごく普通のSF小説だった。
[PR]
# by fusk-en25 | 2016-06-19 10:48 | 本を読む | Comments(2)

ネットを使って。

f0221050_8142168.jpg

パンや菓子を焼く時に使うシリコンの紙が残り少なくなった。
数えてみたら12枚。
12枚ぐらいではいつ無くなるか分からない。

パリの真ん中に位置するシャトレ・レアールは
ランジスに移転するまで食料品の中央市場が建っていた。
その名残なのか、パリで品物を見れる便利さからか
今だに業務用の調理用品を扱う店がこの界隈に何軒か残っている。

業務用好きの私は、30年前にその中の一軒でこのシリコンの紙を買った。
500枚が箱詰めになっていて。
買ってきた箱を見た時、夫も息子も「こんなに沢山の紙が欲しかったの?」と呆れた顔をした。
でも、こんな便利な紙はなかった。
オーブンで菓子やパンを焼く時に使うだけでなく、包み紙にも、瓶類の蓋を覆うのにも、
引き出しの中に敷いたり、洋裁の型紙を写すのにも重宝した。
こんなに多くの量を使い切るのかと疑われた紙もすでに3箱目になっていて。
箱を出してみたら、忘れない様に記したのか私の字で04年12月。40ユーロと箱に書かれていた。
写真左側の白い紙がその残りの12枚だが。

紙も500枚となるとかなりの重さでかさもある。
メトロで持って帰れるかと思案して息子に話したら
「そんな物、今時はネットで買えばいい、宅配にできる」とことも無げに言う。
「注文してどれくらいの時間でくるの?」近頃なら3、4日だろうと。
12年前は店に行って注文して、在庫がなく10日ほど後に車で取りに行った。

通信販売で物を買う習慣のない私はちょっと躊躇いながらも、試しに注文してもらった。
なんと3日で品物が来た。しかも配達料を入れて39ユーロだった。
ネットが流行る筈だ。時代だなと思う。
シリコン紙もエコロジー版が同じ値段だったから今回はそちらを注文した。
再生紙の所為かクラフト仕様の茶色の紙が入っていたが。
色が変わったら、また違った使い方もできるかと。ちょっと楽しみにもなる。

ついでと言えばなんだが。
水を濾過するブリタのフィルターと掃除機の袋。
長年探していた割れて補充したかった耐熱の紅茶用グラスも見つけて注文した。
どれも3日で品物が来て、スーパで買うよりいくらか安い。
この様なあらかじめわかっている物だけしか買う気にはならないが、
こんなことを便利な時代になったと言うのだろうと思いながらも、
まだこのシステムにすんなり入りきれない私がいる。

f0221050_818836.jpg

[PR]
# by fusk-en25 | 2016-06-18 08:42 | 住む | Comments(4)

光と影を捕まえる?

f0221050_784619.jpg

f0221050_7351235.jpg

ブログを始めて一年が過ぎる。
まさに「光と影をおいかけて」の一年だった。

写真を実際に写し出したのは5年ほど前からで。
それまではカメラに触ったこともなく、フィルムの入れ替えも知らなかった。
もしも私が写真やさんと暮らさなかったら、
影や光をこんなに意識しては見なかっただろうとは思う。
写り込みや影は、実際よりはるかに美しく写る。
実像を写すより虚像の方が美しいなんて。ひょっとしたらインチキかな?
と思ったりもする。

自分のいけた花をせめて綺麗に写したい。
「花をいけた者の思いがのるから、かえって上手く写せるよ」と夫に言われてはいた。
でも、花を写すのは本当に難しい。
いまだに綺麗に写ったと思える花は皆無で。
特にいけた花は難しい。

ブログを始めて、それ以前よりはるかに多く写真は写した。
でも「ああ写った」と思えるのは本当に少ない。無いかも知れない。
光と影を捕まえられた写真を
いつになったら、ブログに載せられるか。と。

それを楽しみにしていたいと思う。
f0221050_7363955.jpg

[PR]
# by fusk-en25 | 2016-06-17 07:39 | 思う | Comments(6)

切り取って。。。

f0221050_6214253.jpg

居間のソファに寝そべって本を読んでいた。
ふと棚を見ると。ガラスに空が映っている。
見上げた角度の新鮮さというか、
いつもとちょっと違った角度から見た感じがいい。
広がる空間を見ているのも見飽きないが
こんな風に切り取った眺めもまたいいものだなと思いながら。
起き上がって写したり。
グラスに映る透明感も、皿が幻想的に見えるのも。。。
ついでに空の本物?も眺めて。。遊ぶ。

どんなことにも言えるかもしれないが。
見慣れたものをほんの少し違った角度で見る視線は大事な気がする。
夫がいなくなって一人暮らしを始めた。
そんなに暮らしが変わるものではない。
でもほんの少し違った観点から自分を見だした気がする。
珈琲もそれまでは手慣れた入れ方をしていたのが
たった一杯を入れる為には違った手順をふんだりする。
珈琲マシンを止めて、ドリップで落として味を比べたり。
新しい経験とまでは言えなくても。
色々なことで、自分だけの空間がやっと成り立ってきた。
と思えることもある。

人間の関わりにも。物を見る目にも。
ほんの少し見方を。それを見る角度を。
変えたら。
新しい気持ちになったり。
柔らかい付き合いができたりするような気もする。

f0221050_639455.jpg

f0221050_626389.jpg

f0221050_6372388.jpg

[PR]
# by fusk-en25 | 2016-06-16 06:36 | 空を眺める | Comments(4)

常備菜の塩昆布。

f0221050_7373836.jpg

久しぶりに塩昆布を炊いた。
レシピは姑の全く甘みを入れない醤油と椎茸の味だけで煮る。
夫は朝ごはんにお茶漬けを食べていた。
長年姑の炊いた昆布で育ち、市販の昆布や佃煮は全く食べなかったから、
この塩昆布は我が家では必需品で、夫がいた頃は20日に一度は必ず煮ていた。

早くに亡くなった姑が生きていた頃は私が何度煮てもうまく炊けたためしがなく、
いつも姑に煮てもらっていた。
「上手に料理するあんたがこんなもの炊かれへんとはなあ」と言いながらも
毎回煮ては持ってきてくれた。
一度は私の家に来て目の前で昆布を炊いてもらったこともある。
でもどうしても私が煮ると味が違う。

姑が亡くなって。さて困った。
もうそうなると仕方がないと煮はじめて4、5回炊く内に、
なんとなく要領がわかってきた。
昆布が柔らかくなるまで蓋をして煮ることだったのだ。
柔らかくなると落し蓋だけにして煮詰める。
なんでおかあさんそんなことを言わなかったのだろう。
彼女には当たり前のことで教えるようなことではなかったのか。
5年も煮ている間に、
極上の昆布を使い(姑は夜店に売っている普通の昆布で充分と言ったが)
昆布100gに対して醤油と水を360cc、お酒を少し 鍋に入れ一晩おいて。
干し椎茸を別に戻して、千切りにして入れ弱火でコトコト煮る。
かえりちりめんを炊き上がる直前に入れ(早く入れると雑魚が溶けてしまう)
汁気が鍋にほんの少し残っているうちに火を止める。
鍋の余熱で昆布が光り出すのも発見した。

何年か前に、残された舅に会いに帰る夫に塩昆布を持たせたら。
「お母ちゃんの塩昆布がまさかパリから来るとは思わなかった」と喜ばれた。

この昆布の話を義弟にしていたら。
姑が亡くなってから結婚して姑に会ったことがない義妹が
その塩昆布を煮たいからレシピを教えて欲しいと言う。
次に私が泊まりに行ったら、ちゃんと昆布が煮てあった。
姑の味が義弟の家にも伝わるのかと思うとなんだか嬉しいような気がした。

f0221050_742398.jpg

f0221050_7432762.jpg

[PR]
# by fusk-en25 | 2016-06-15 07:57 | ままごと | Comments(10)