煌めく光の中で


by fusk-en25

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気温が幾分上がって来て、寒さは和らいだが。
そのぶん曇り空の鬱陶しい日が続いている。
いつも天候でぼやいていると。自分でもおかしいのだが。。。

その反面。ちょっとでも陽がさすともう嬉しくてたまらない。
冬の陽にもほんの少し春めいた輝きも出て来て。。

「あれっ、こんなところに影が映る。お日様をめがけて写しているのに。。」
壁にかけた写真の額に反射して窓枠に映ったのだ。
ならば壁に私の影を映してみよう。
手を上げたり下げたりして影法師と遊ぶ。

横にかけたセーヌ河の写真にも。。
後ろのアボガドの葉っぱが映り込んで、違ったイメージが表れる。
ちょっと視点を変えるだけで見た目が変わるなんて。
なんと光は楽しいんだろう。。

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by fusk-en25 | 2017-01-31 10:57 | 写真 | Comments(2)
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1917年1月30日。
北米合衆国、オレゴン州、ワシントン郡、ビバートン市で父は生まれた。
祖父母がその10年ぐらい前(明治40年頃)に渡米して、開拓農民?として入植したらしい。
なぜまた寒さの厳しいオレゴン州なんかに入植したのかとは思うけれど。
その頃カリフォルニア州は黄禍政策をしていて入れなかったからだろうと想像はしている。
ただし父が一歳の時には引き揚げて帰国している。

もしも父が生きていれば今日は100歳の誕生日。
1949年の1月30日、32歳の誕生日に亡くなって 祥月命日も同じ日に当たる。

私は2歳10ヶ月になったばかりで、生後8ヶ月から療養生活をした父のことは何も知らない。
早くに亡くなった人にはそれなりの逸話が色々付いて回る。
新聞記者をしていたから、いつもポケットに「記事」を持っている人だったとか。
記事に何を書けばいいのかがどんな場所に行っても瞬時にわかった人だった。。
幼少の頃から家庭内新聞を作って配っていた。。などの。。

若い頃の私はそれがとても怖かった。
自分で知覚できないことがあたかも本当であるかのような錯覚に陥らないかと。
本当のことを知りたい、でも居なくなってしまった者にそれは望めない。
もしも父が生きて居たなら。。。とは絶対に思わないようにはしていたが。
もちろん自分自身でも幾らかのセンチメンタルになる気持ちは抱いていたと思う。
私の人生が変わったことは事実だろう。

結核を発病して、死ぬまでの2年ほどの間に何冊かの日記を書き残している。
単に病気のことだけでなくその頃の物価や、読んだ本。政治情勢。
時には愚痴も。たまには私のことも。

その日記をどうしてもまだ通して全部は読めない。
若い頃からパラパラと拾い読みすることがあっても。。
もうそろそろ解禁してもいいじゃないかと私自身も思うのだけれど。
出してみてはまた今度ねと棚にしまう。

数日前に
本棚の整理をしていて、新聞の切り抜きを挟んだ父の古いノートからポロリと一枚の紙が落ちた。
死ぬ少し前に書いた散文らしい。
もうとっくに父への感傷も何も風化している筈なのに。
読んだらなんとなくホロリとした。

祥月命日と生誕100年に敬意を表して。
一人では絶対に飲まないことにしているビールを今夜は特別にあけた。
酒好きだった父のために。乾杯。


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by fusk-en25 | 2017-01-30 11:31 | 追憶 | Comments(10)

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寒さが昨日から和らぎ、気温も10度を超えた。
曇ってはいるが。。ベランダの植木にたっぷり水をやり。
一昨日、昨日と寝てばかりいてなまっている体をいくらか動かすつもりで、
近所をゆっくり歩きに行った。

「小さな森の散歩道」と名前だけが?洒落た公園に
緋寒桜なのかアーモンドなのかよくわらないが今頃咲く樹が植わっていて。
もう咲いているかと見に行った。
確かに花は咲いてはいたが、零下の時に凍えたのか、淡いピンクに咲く筈が
なんとも貧相な白茶けたねずみ色とも薄茶ともつかぬ色になっていた。

いつもの半分くらいの速度で歩いていてもまだ体は幾らか心もとない。
寝付くといっぺんに筋力が落ちると言われる筈だなと思う。

2年ほど前の3月に、食あたりをしたのか。インフルエンザが腸に来たのか。
夕飯を食べた後で気分が悪くなり、陀羅尼助を飲んで横になったのだが。
眠れずになんとも気分の悪さが続く。
そのうち体が震え始めて、足もこむら返りのように引きつって来た。
こらあかんなぁ。と息子に電話をかけたら、
救急の医者(SOSメジサンというのだが)呼んですぐ行くという。
まだ震えは止まらない。そうこうする内に消防が来た。
パリの緊急医療は消防がかねることが多い
ちょっとぐらいの気分の悪さなら電話をかけない私の筈。よほど悪いのだろうと嫁が動転して、
息子が家を出てから心配のあまりに救急を呼んだらしい。
消防が来ると病院に必ず搬送される。私自身まだ気分も悪かったし、
こうなると仕方がないと病院に運ばれた。もちろん息子もついて来ている。
出かけに「私。死ぬのかなあ」というと「アホか。腹痛ぐらいで死ぬか」と息子が笑い出した。
でもその時、一瞬、自分でも死ぬのかしら?と思ったことは確かだ。
20代に、もっとひどい食中毒にかかったことがある。
3日ほど上げ下しをして、薬を飲むための水さえ喉を通らない重症で、
医者からも本来免疫力が低い体質だから日常も気をつけるようには言われてはいた。
その時よりはるかに軽症だったのに、
20代なら死ぬか?なんて思わなかったと後で自分でもおかしかったが。
それが年齢というものかと思う。
歳をとっている意識は常にはないが。ことが起こるとふとそういうことも頭をかすめる。
幸いこの時も検査の結果、単にウイルス性の腸炎で。脱水症状が起こって痙攣したのだろうとのことで
嫌いな注射だけされて入院もせずに帰っては来れた。

一昨日のアクシデントの「椅子から落ちた」ことも。
ひょっとすると大ごとになっていたかもしれないと。後になって思い始めた。
これが歳かと、自戒も込めて。。。

そろそろ水仙の芽も出るかと近所の教会の庭にも行って見た。
零下のあおりで芽は一つも出てもいなかったが。
庭の隅のマンサクが、「まずは咲くマンサク」のいわれのように咲き始めていた。
春もいくらか近づいて来るのだろう。。。




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by fusk-en25 | 2017-01-29 08:46 | 思う | Comments(6)
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二番煎じ。。。と言うのでもないが
大根のビール漬けを食べってしまった残りの漬け汁。
捨てるには惜しい気がして、(7、5度のビールも入っていることだし。。)
もう一回その漬け汁に半日干した大根を入れた。
試しだから量も少なめにして、
大根が浮き上がらないように、小さなガラス玉を袋に入れて重しにした。
3日目に食べてみたら、ちょっと味が薄くなったかと思えたが、充分味はついている。
以前から奈良漬の味噌ももったいなくて、残った味噌に胡瓜や人参を軽く塩をして漬けると、
それもまた奈良漬とは言えないが浅漬けの美味しい漬物ができる。
どちらかと言えば、本来の奈良漬より好きなぐらいだ。
自分でもケチくさいことをやってると思うのだけれど。
どうもこんなものは捨てるには忍びなくて。
もう一回使えないかと色々やってみるのが好きなんだなぁ。と苦笑している。


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by fusk-en25 | 2017-01-28 07:57 | ままごと | Comments(4)
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アクシデントと言えるか?どうか。。。
昨夜 孫のハンドボールの練習を見て、夕飯も息子の家で食べて来た。
帰り道はキンキン冷えると思えるぐらいに寒くて。
家にたどり着いた10時過ぎにゆっくりハーブティを飲み。
あまりの眠さに「宵寝」をしてしまい真夜中に目覚めた。
台所に行って。昼ご飯に持って行ったタッパーウェアを一番上の棚にのせようと。
椅子に上がった。
ドスン。あれっ何があったのだろう。
椅子の座席が抜けて、すっぽり私の体が椅子の脚の間に入っていた。
椅子に上がった時に座席の端っこを踏んで、緩んでいたねじが外れ、ひっくり返ったらしい。
たった50cmほどの高さとはいえ、落ちた事には違いない。
衝撃がどこまで後から体にくるか?と思いながら、
痛み止めのつもりで予防?にアルニカと葛根湯を飲んで寝た。

今朝、目覚めたとき。ちょっと怖かった。
恐る恐る足を動かして見て。身体全体に鈍い痛みはあってもどこかが折れたりはしていない。
ああよかったとは思いながら。今日は大威張りで「なーにもしない。」
4脚ある椅子だけは裏返して、全部ねじを締め直した。
座席が外れそうになっているのも2脚あって。今まで点検しなかったことを悔やむ。今更。。。だが。

終日ぐだら、ぐだらと寝た。
ここ数日睡眠不足もあったが、こんなに眠れるのはやっぱりどこか傷んでいるか?

実は先週の水曜日も。子供達を連れて地下鉄に乗って。
閉まりかけの扉に飛び込んで腕を挟まりかけた。
慌てていたこともあったが。寒さが少し堪えているのか?
要注意と思いながらの。。今回のアクシデント?(私の不注意の所為でないとしても)

こんなことが起こると。
「大難小難」と自分に呪文をかける。
自分でも能天気だなとは思うのだけれど。小さな事故で済んだと言い聞かせる。
精神的に落ち込まない一つの方法?

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by fusk-en25 | 2017-01-27 09:53 | 思う | Comments(8)
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今日は寒かった。
歩いていると、シンシン冷える。
夜になって寒さも増して。帰って来て温度計を見たらマイナス2度。
ベランダの奥まったところでこの温度だから、風の吹きすさぶ戸外ならもっと低いだろう。

久しぶりに、孫のハンドボールの練習を見た。
9歳から11歳の少年リーグだがなんともコートが広く見える。
先日、大人の試合を見たコートと大きさも同じなのに。
ボールまで大きく見えるからおかしかった。

相対的というのか。どんなものもちょっと見方を変えるとちがうのだな?といつも思う。
暖かい国で育てば、ちょっとの寒さにも震え上がるし。
寒い国から来たらこんなものまだ寒いとは言えないと思える。

若い頃、フランスに来たばかりの時。なんと大陸は広いのだろうと。
隣の国までまっすぐ行けるのに感心したものだったが。
その頃知り合ったオーストラリア人のカウボーイだったという若者は。
フランスは小さいと言った。
こまこまと畑を作っているだけで、広い野原がないとぼやく。。
へえーそんなものかとなんとなく「目から鱗」のような気がしたものだった。

郷に従えでもないが。。
それからの私は、どんなこともあまり先入観を持たないことにした。
日本ならこうではないのよと来たばかりの人がぼやくのを聞いていても
「だって、ここは日本じゃないもの」と言いたい気になる。
でもまた外国の方がいいと言うつもりでもなく。良し悪しなんて簡単には言い切れない。
その場で自分がよりいいと言うものを選ぶしかないんだけどなあ。。

子供のサイズなら、同じコートも大きく見えるのを見ていて
なんだかとりとめのないことを考えてしまった。。。


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by fusk-en25 | 2017-01-26 12:51 | 思う | Comments(6)
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大気汚染のせいで。空がどんよりくすんでいる。
夕陽も雲の合間に白っぽく霞んで。。薄い鴇色の縞がぽっちり見えただけ、
窓を開けると気温は4度と和らいでいるのに、かえって体感温度は「寒い」と感じる。
その上大気汚染も風や雨待ちとは悲しい話だが。。

お昼に親しい人とご飯を食べた。
半年以上も会ってなかったのだが。お互いにブログを読んでいて。
毎日の暮らしの片鱗は分かっている。
「長く会わなかったとは思えませんね。」
なんて言い出して、寒さから氷に話が弾んだ。
「子供も夫も道に氷が張ってると喜ぶんですよ。氷みたいなもの珍しくもないのに」
長野県人の彼女が言う。
「あら、私。道が凍るなんてこちらで初めて体験した。つららも見たのはここに来てからだし。
雪が降るとワクワクする」と言うと彼女は目を丸くして。
「へえ大阪って暖かさが違うのですね。私雪なんか嫌いだわ」と驚く。
たかが氷や雪でも体験の違いによって感じ方が違うのだと、二人で笑った。

数日前から漬けていた大根のビール漬けと白菜の漬物がメインのようになってしまい。
前菜の自家製もやしの胡麻和えや本来の主菜?のつもりの肉じゃがより好評だった。


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by fusk-en25 | 2017-01-25 07:56 | ままごと | Comments(0)
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寒さこそ少しやわらいではいるが。
毎日の晴れ間続きに。暖房も焚くから?らしいが
また大気汚染が始まって。空も幾分どんよりして来た。
交通車両の規制も始まっている。
天気もいいが、都市公害にすぐに結びつくのもまた難儀なことだ。

週末はどこにも行かずに。作業の合間にフォッカチャを焼いた。
注文したパンメーカがまだ届かなくて、今回も手でこねて。
ドライトマトとひまわりの種に麻の実も入れて。
たっぷりオリーブオイルを入れて焼いた。

このパンを食べたいばかりに簡単なオムレツを焼く。
溶けるチーズとハムを入れて。
付け合わせにあり合わせの野菜も刻んで炒め。
キャベツのコールスローも添えた。
食事が簡単な分。久しぶりに珈琲も豆から挽いて。
気持ちだけ。。「優雅な食事?」ということにしようか。。。


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by fusk-en25 | 2017-01-24 09:12 | ままごと | Comments(4)
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ここに住み出す前だから。
もうかれこれ40年も前になるが。
木綿絣の古布が古道具屋?に出回った時期があった。
いわゆる模様の入った絣でなくて、縞や格子が多く。
おそらく布団の皮が洋風の布団に変わって出て来たのだろうと言われていた。
伊賀上野に買いに行ったり
知人が鳥取県の倉吉に住んでおられて見つけてくださった布も何枚も持っていて。
その木綿絣でスカートや巾着を縫うとなかなか洒落た感じのものができた。
ここに住みだしてからも
何枚か古布は持ってきていて、着るものは作らなかったが
コースターやベットカヴァー、オーブン用のミトンを縫った。
その残りの端切れが中途半端に溜まっている。
継ぎ合わせて鍋つかみを作ることにした。
大きな布もまだ何枚も持っていて。わざわざ継いでまでやることもないのに。。
小さな端切れでも捨てるには惜しい。
貧乏性やな?と思いながら、洗って裁断してミシンをかけた。
中には厚みが出るように綿状の綿布を入れる。
鍋つかみ自体もミトンや、袋状に手が入る形など色々作ってはみたが。
実は単に四角いこんな形が意外と使い良くて、
しかもこんなものは商品価値がないのか売ってもいない。
プレゼントにもするつもりで何枚か縫った。

布をつないで、アイロンをかけながら、
私の幼稚園の頃の集合写真には、まだ継の当たった服を着ている子供も写っている。
ボロでもきちんと継の当たっているのは、それなりにしゃんとして見える。

小さな布を継いで形にする。
自己満足に過ぎないが、楽しい作業だった。

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by fusk-en25 | 2017-01-23 08:19 | 手仕事 | Comments(8)
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1月21日、午前3時。
真夜中の空にぽわっと橙色とも柿色とも見える月が上がって来た。
あぁ、綺麗な三日月。
見とれて写真を写しているうちにどんどん高くなって来て。
午前3時30分。
赤い色も消えて。煌々とした光り輝く月になった。

こんなに遅く。。真夜中に起きていたのは。
宵の口にあまりにも眠くなって寝てしまい。
それもぐっすり4時間も。
いくら深夜が好きだと言っても。これではなあと思うのだが。
目が覚めてからブログを書いて。まだ眠くもなかった(そらそうだろう)
翌日縫う予定の小布の裁断をして、古い布だからもう一度洗って、
居間の暖房機に軽く乾かすためにのせに来たら、
橙色の綺麗な三日月に巡り会えた。
なんとなくウキウキもして。。気分がいい。

何年か前に。
息子に昼間眠くて仕方がないと言ったことがある。
「寝たらええやん」と事も無げに言われて。続きに「なーにも起きてても用事ないやろ」
昼寝をするなんて。。とちょっと気も咎めていたし、
「なーにもない」と言われると腹立たしい気もしないではなかったが。
「そうか、寝ればいいのか。」
何事も自分に都合の良いことはすぐに納得する。
それからは堂々と眠い時は寝ることにした。
ついでに何事もポジティブに考えればいいと自分に言い聞せて。。。
反対に少々眠れなくても、不眠症とは考えない。「眠くないだけ。。」
かなりヤケクソ気味の発想やなあ。とは実は思う。

歳をとってできなくなったことが多いと友人たちは嘆く。
でも60歳を過ぎて出来なくなったことが本当にあるのだろうか?
60歳過ぎて出来なくなったことは、私は20歳の時でも出来なかった。
マラソンの選手にもなれなかったし、水泳もできない。自動車も運転できなかった。
今とおんなじやんか。。
若い頃はガムシャラに物を作ったり、夜更かしが続いてもへっちゃらの顔をしてはいたが
それなりに疲れたし。取りこぼしてきちんと物ができない事もかなりあった。
ただ20歳の頃なら。年齢が原因だとは考えなかった。
やりたくなかったか。やってもできなかったかのどちらかだろう。
むしろ今の方が、あらかじめたっぷり考えてやるようにもなったし。
物を作るのにも叮嚀になった分。できることが増えたような気はする。。
目もいくらかはぼんやりして来て。普通の人ならすぐにでも老眼鏡をかけるのだろうが。
10代の半ばから近眼で、物がぼんやり見えるのになれていると。
少々のぼんやりさは苦にならない。裸眼で本が読めるから、それでいいじゃないか。。

こんな風に常にちょっとだけ自分をごまかして?甘やかせて?
何事にもポディティブな気分で暮らすとストレスは少ないと思えるようになった。
それが歳?なのかもしれない。



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by fusk-en25 | 2017-01-22 08:53 | 思う | Comments(4)