煌めく光の中で


by fusk-en25

カテゴリ:思う( 86 )

アナログの私が。。

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我が家の固定電話にはファックスはおろか留守番電話の機能もないし。
かかった人の表示すら出ない。
携帯電話は持ってはいるがいわゆるガラケーで
それも随分古いもので、家にいるときは切っているから。
外出時に公衆電話がわりに使うにすぎない。。
というほどのアナログの私が。。

iPadを買ってもらった。

息子の家に時々泊まる時に
空き時間を本だけ読んでいるのもなんだし。
スマフォもなくて何かと不便だから、
私でも使えそうな携帯できるものを何か買おうかと息子に相談してみた。
画面が大きいiPadなら、パソコンはマックだから、
似た機構でなんとか私でも使いこなせるだろうと言うことになって
先週から使い始めた。
同じような機構と言われてもキーボードとはまた違う動きもするし。
そう簡単に慣れそうにもないが、それでも画面の動きがまた面白くて。
なんとかこれも使いこなせたらいいなあ。と思いながら。
古い帯地で、iPadがきっちり入るカバーの袋を縫ってみた。


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by fusk-en25 | 2017-05-08 07:50 | 思う | Comments(6)

簡素なセレモニー

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午後に突然お葬式が入った。
近所に住んでおられた94歳の老婦人が3日前に亡くなった。
その方の友人が私の友人で、ノルマンディから出てくることになって。
私自身は亡くなった方とはそうも親しくはしていなかったが。
友人に会うのも目的にして、教会のセレモニーに参加して来た。

カソリックでも須賀敦子さんが所属されていた「コルシア書店の仲間たち」と同じ流れの
1930年代に始まった聖と俗の垣根を取り払おうとする「新しい神学」に由来する教会で
簡素ながら、その仲間たちの弔辞もほのぼのとしたもので好感が持てた。
埋葬は故郷に近い村の墓地に2週間後にされるので。
セレモニーの後は簡素な茶話会。茶話会といってもビスケットとクラーッカに
水やジュース。何本かのシャンパンが飲まれるだけの。
彼女を偲ぶ話が「ご馳走」に値するのだなあと思いながら。
集まった人たちの話を聞いていた。
故人にはなむけの言葉をみんなそれぞれ熱心に書き込まれている。。。

さすがにセレモニーの間は写真を写すのも憚れて、
セレモニーの終わった教会と。茶話会で集う人たちを写すだけにしたが。
この人たちの服装だけ見ると。
「ええっ本当にお葬式なの?」と思える。
ここ30年ほど前から葬式にも喪服を着用するようなことはもう皆無になって。
喪主に当たる故人の長男ですら。青いシャツにジーンズだものなあ。
それがいいとか悪いとかの話ではなく。
故人を偲ぶことに服装など関係ないということだろうか。
ここまで徹しているとまたそれも良しか。。とも思える光景だった。

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by fusk-en25 | 2017-05-06 07:23 | 思う | Comments(6)

もの憂い午後に。。

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もの憂いような土曜日の午後。
アイロンをかけたり、洗濯を干したりしながら。。
見るともなく外を眺めていた。
遮光線ってなんて綺麗なんだろう。柔らかな光も満ちて
あちこちの建物に所々光の反射も映っている。

ビルの谷間に生えているマロニエも咲き出した。
こんなせせこましいところになぜこんな大きな樹が植えられているのだろうかと。
知らない人が見たら不思議に思えるような場所だが。
実はこのマロニエ。
ビルが建てられる前から生えていたもので。
建物を設計するときに
このマロニエを残すために建物の配置も決められたのだという。
この場所だけでなく建築現場でよく見られる光景なのだが
工事中は樹を木の柵で囲って保存しているのを見かけることも多い。
道路を拡張するときにも既に生えている並木を必ず残す計画にしているのか
変な曲がり具合の道も時たま見かける。

パリ市は河川の沿岸や森の。。また電車の軌道に生えている下草や樹木を
できるだけ撤去しない条例も何年か前に作った。
人間より植物の方が育成に時間がかかるのを知っているからだろうか?


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by fusk-en25 | 2017-04-23 11:08 | 思う | Comments(2)

誕生日に。。

去年の古希の誕生日を迎えた頃。
親しい友たちに。。
「これからの5年間。フルパワーで生きるからね。そして5年過ぎたらまた次の5年を考える。。」
などと半分自分を励ますようなことを言った。
その5年の内の1年がもう過ぎたのだが。。さてどうしていたのかねえ。私。
でもまだまだ4年ある、などと言い訳はしている。

今年は一つの計画を立てていて。
今まで、2段ベットのようなロフトタイプのベットに寝ていたのを下に下ろすことを考えている。
去年の暮れだったか、何かの話のついでに息子に近い将来下に寝ようと思うと言った。
即座に、なるだけ早い方がいいと答える。
「気にしてたん?」
「でもないけどな。落ちたら大変やで、骨折したら治りにくい年やしな。。」
そらそうだろう、私自身でも梯子から転げ落ちるのを想像するのはちょっと怖い。

こんな話を周囲の友達にすると。
みんなが一斉に、前から危ないと思ってたと言い始めた。

夫がいた頃はロフトベットの下には写真機材、ネガフィルム。写真や額などの保管場所に当てて
この場所で現像もやっていた。
その機材は今でも残っていて、その整理がまた大変だから
ベットもある程度の高さにして下に物置を作ろうかと息子に言うと。それも即座に却下された。
自力で立てて座れる高さでないと危険だと。
息子は言わなかったが、もしも何かことが起きて車椅子の生活になる時のことも考えたのかと。
私もすぐにわかったけれど。ちょっと悔しかった。

どう言う形になるかはまだわからない。
でも確実に近い時期に始めようとは思っている。

古い写真を整理していたら、
小学校1年に入学した時の写真が出て来た。
裏に祖母の字で、昭和28年4月15日。満7歳と書かれていた。
いつもながら仏頂面した私がいる。

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by fusk-en25 | 2017-04-15 07:07 | 思う | Comments(8)

嬉しくて。。。

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ベルシーの公園に行った帰りに。
ショッピングモールでパンを買った。
「バケット1本とレーズンパンを一つ」
売り子のお姉さんがショーケーズを覗いて。
「あらレーズンパンは売り切れだわ、ミニパンならありますが」
「じゃあ、ミニパンを2つ」
会計をする時になって。お姉さんがニコッと笑って
「ミニパンは4個入れときました」と2つおまけしてくれた。
夕方も遅くなって、店を閉める時間が来ていたからかどうか?は知らない。
でもなんとなく嬉しかった。
好きなパンをおまけしてもらったんだもの嬉しくない筈がない(笑)
帰ってせっかくだから
Gienのデザート皿を出してパンをのせた。

この皿は、フランスに来て初めて買ったデザート用の皿で。
店で見た時。
タルトの6枚が違う模様になっているがいい。。。もう絶対に欲しかった。
しかも裏の図柄がまた可愛い。なんて楽しいものを作るのだろう。。。。と。

デザートに使うとテーブルを囲む人たちが。
苺の皿がいいとか。。杏にするとか。。言ってワイワイ騒ぐのも楽しい。

バケットは野菜のサンドイッチにして
野菜たっぷりのキャベツのコールスローやトマトもベランダのルッコラも付け合わせて。
この皿はノルマンディのアンチックの店で買ったもので、ルーアン製。
一応手描きとは書かれている。


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by fusk-en25 | 2017-04-02 07:41 | 思う | Comments(4)

祈りを込めて。。

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6年前の今日。3月11日。
たまたまその日、大使館に出かける用事ができて。
出かけようとしていたら、フランス人の友達から電話がかかって来た。
「日本で大きな地震が起こったみたい」と。
玄関ですでに靴も履いていたから、そのままテレヴィも見ないで、
大使館に行き所用を済ませ。館員に「大きな地震があったそうですね」と尋ねると。
「まだ様子はわからないけれど、阪神の時より規模は小さそうですよ」と穏やかな顔で話された。
それならばと安心もして。。
帰ってテレヴィをつけて、津波のニュースを見て驚愕した。
「考えられない状況が繰り返し報道されていた」

それからもう6年が経つ。

その時から東北復興支援グループを立ち上げた友がいる。
彼女もニュースを見ていたたまれず、すぐにも何かしなければと思ったという。
気持ちは焦っても実際にどうしてやればいいのかと。思案を繰り返し。
単に寄付金をどこかに送るだけでなく。実際に現地の人の欲しいものを
役に立つ形で支援するのはまた難しいことだっただろうと私も想像するが。
持ち前の頑張り方で。ここだと思える相手を見つけ。
周囲を巻き込んで支援グループを作り始めた。
中には金持ちの奥さんたちが遊び半分にやっていると見られたこともおそらく多かっただろう。
しかし。それから6年間、途切れることなくこれを継続してきた彼女とその輪を見ていると。
たとえ支援が終わりになっても(支援が必要でなくなる状況には1日も早くなって欲しいものだが)
彼女たちが築き上げた「輪」は
違う形になって進化して、そこからまた一つ一つの芽が育ち。
いつか広い広い草原になるのではないかと。私には思える。
思えるだけでなく。そうなることを夢見て。。。もいる。

UNITE TOGETHER <友が立ち上げた支援グループの名前です>



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by fusk-en25 | 2017-03-11 11:41 | 思う | Comments(2)

言葉。。

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ここ数日気温こそ10度前後だが、「もうしっぽり。。過ぎる」と思えるほどの雨空が続く。
午後のひととき。一瞬だけ晴れて。咲き始めた近所の椿も輝いていた。

息子が夕飯に来て。。思い出したように。。
孫が「父ちゃん。僕と喋るとき。もうちょっと日本語を使い」と
何を思ったのか、言いだしたらしい。
「ふーん(珍しいこともあるものだ。。。)それで?」
「どうやらなあ。先月のヴァカンスで、スキー教室に行ってたやろ、
教室にフランス語の喋れない日本人とイギリス人の子供がいたそうや。
英語の授業が始まっているから、イギリス人とは簡単な挨拶ができて打ち解けられて。
日本人の子供が話しているのはなんぼかわかってもなあ、
話しかける言葉が出てこなくて、残念やったらしいで」
と孫の状況を説明しだした。

孫と私の会話は赤ん坊の時から私自身はできるだけ日本語を使うようにしているが
彼からはフランス語しか返ってこない。
聞く言葉に反応はしても彼の中に「日本語がプールされてない」からだろうと私は思っている。

孫が5歳の時に日本に家族で帰った。
それまでも孫は私の日本語を聴いて育っている。
彼自身、日本語を完全に理解できると信じ込んでいたらしい。
ところが初日に空き家にしていた実家に私の友達が11人、掃除の手伝いに来てくれた。
友達と私が話す大阪弁を孫は一言も理解できなかった。
滅茶苦茶パニックを起こして。
「なーにも分からへん、もうフランスに帰る」と泣き出した。
その反応には笑ってしまいたいぐらいだったが。。本人の落ち込みには少し可哀想な気はした。
3日目に長くフランスに住んでいた日本人夫妻が遊びに来てくれてフランス語が話せて
トミカのフェアにも行ったので、なんとかその後の4週間は楽しめて。
帰る頃には私と二人で実家の周囲を自転車で回って「右よ」と声をかけると
「はーい」と日本語で答えられるぐらいには回復はした。。

孫の中に日本という国はどういう形になっているのだろう?
もう少し彼の中に日本語が蓄積されて、自発的に話し出すこともあるのだろうか?
などと息子の話を聞いていて。ほんの少しだけ楽しみにはなって来た。


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by fusk-en25 | 2017-03-06 08:29 | 思う | Comments(8)

駆ける。。

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やっと朝帰りから解放されたのだが、まだなんとなくぼんやりして。。
朝の珈琲を飲みながら。。
ウタウタと、何することもなく。。過ごしている。

2泊3日の泊まりの間に
久しぶりに孫のハンドボールの練習を見た。
いつもは練習場の前まで送って行って、帰ってしまうのだが。

チームに入って2年目。
9月から参加者の年齢が全員9歳以上になり。
最少年チーム(9歳から11歳)のリーグに登録され。毎週一回試合もしている。
最初の頃の試合を見に行ったら。
もうぼろ負けで見られた状態でなかったのが
半年も経つと試合にも慣れて来たのか
この日の練習も私が見てもコンビネーションが決まってきたなあと思える動きになっていた。
チームワークも幾らかできて来たのだろう。

それにしても1時間半の間、休みなく子供たちは駆け回る。
若さというか柔軟性というか
見ていても気持ちが良い光景だった。



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by fusk-en25 | 2017-02-25 18:28 | 思う | Comments(0)

竹の皮に包んで。。

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今日は「朝帰り」でした。
朝帰りにも「後朝の別れの。。」のような色っぽいことが組み込まれているなら。。
それもまたいいのですが。
残念ながら孫守りに。息子夫婦に二人とも出張が入ってピンチヒッターの泊まりになって。
朝、学校に孫を送って。その足での朝帰り。
また夕方に迎えに行って今夜も泊まり、翌朝も同じ朝帰りの予定。。
向こうにずーっと居てもいいけれど。どうも手持ち無沙汰で落ち着かなくて。
帰って来てしまう。片道45分もかかるのに。。

お昼ご飯のおにぎりは「竹の皮」に包んでいきました。
ターッパに入れてもアルミ箔に包んでもいいとは思うものも。
竹の皮の軽さや簡便な割にはこのまま食卓に出しても様になり。
しかも防腐効果もあると言うのが好きで。

機内食が嫌いだった夫と飛行機に乗るときは。必ず竹の皮包のおにぎりをいくつか持って。
ピクニックにも竹の皮は重宝しました。
ただこちらには粽にするような笹はアジア系の食料品店にもあるけれど。
竹の皮は見つからなくて、いまだに日本から送ってもらい。
洗っては乾かして、大事に使っています。
それも近頃は日本でも手に入り難いようで。。なくなったら困るなあ。

古の尾形光琳の逸話ではないけれど。
金蒔絵を施した艶やかな竹の皮。それを川に流したように
私も一度くらい花見の弁当に使ってみたいものだと。
その粋な様を想像もして。。


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by fusk-en25 | 2017-02-23 21:10 | 思う | Comments(8)
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ゆらゆらと。。。流れていく春の色。。。。

息子の仕事が終わる時間に待ち合わせて。
セーヌ河、サンルイ島のオルレアン岸に行った。
ノートルダムの後陣が最も美しい形に見えると夫はこよなく愛していて。
2009年の6月に、知人友人と散灰をした場所。

出かける直前に息子が電話をかけて来て「土砂降りやで。。」
夫の祥月命日や散灰記念日には
必ず土砂降りに雨が降ったり、雪が積もったり。河が洪水になったりと天候が悪い。
「いつものことやんか。荒れるのは。。」
と言いながら外を見たら、向こうの方が明るい。。
雨も上がりそうだと思いながら出かけた。

メトロを降りると。雨が上がり。幾分雲が割れて来た。
夜の帳が降りるほんの少し前。束の間の淡い光が冬の木々越しに光って見える。
雨上がりで、大気もしっとりして。。
「まーた雨。と父さんにぼやいたら晴れたん?」と息子と笑う。
いつものように近所のキャフェで珈琲を飲んで。夕飯は一緒に家で食べた。
「暖かいからまだ今年はましやね。。」
祥月命日の献花も8回目。8年がいつの間にかに過ぎた。

穏やかな河面に。。。
ゆらゆらと。。。春の色が流れていった。

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by fusk-en25 | 2017-02-06 08:24 | 思う | Comments(8)