「ほっ」と。キャンペーン

煌めく光の中で


by fusk-en25

カテゴリ:本を読む( 14 )

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ブログ「梨の木日記」の梨の木さんのアラバマ物語の感想から。
トルーマン・カポーティに繋がって、
この作家の小説は30代で嵌まって読んだ記憶があるから懐かしかった。

特に好きだったのはアラバマ時代と言われる
「草の竪琴」や「クリスマスの思い出」で
有名な「ティファニィで朝食を」はその頃あまり好きでもなかった。
今ならどんな感じに読めるだろうと。
月の初めから古い本を引っ張り出して読み出した。

まず「草の竪琴」を
アラバマの草の匂いまでしてくるなあと思いながら読んでいて。
細部は忘れていても自分の中にイメージが濃厚に残っているのを発見したりして。
続きに「夜の樹」や「カポーティ短編集」も。
短編はどれももう完全に忘れているのだが。
読んでいるうちに変な現象が起こってきた。
普通は読んでいる時点で次々に絵が浮かぶ、
今回はその浮かぶ絵がまだ読んでいないほんの少し先まで見えてくる。
もちろん30年も前とは言え読むのは2度目だから、
以前一度想像した絵がどこか記憶に残っていたのだろうと言ってしまえるかもしれないが、
すっかり忘れている話なのにちょっと先が浮かんでくるのはなんとも不思議な感覚で
それはまた既視感でもない変な状態だった。
本を2度読むことはほとんどないから、再読とはこんな風になるのかと思ったりもして。
最後に、映画にもなって有名なのに
好きでなかった「ティファニィで朝食を」はパスしようか?と思いながらも、
読み出すとこれが意外と面白く「ティファニィで朝食を」はこんな小説だったのか?
と新たな発見をしたような思いがする。
私の年齢からくるのか?それともこの30年近くの間に
西洋の翻訳小説をかなり読んだ結果、アメリカやニューヨークのことが以前より理解が深まったからか?
行きつけのバーの喧騒や匂いまで想像できる気がした。
来年は持っている「冷血」や「遠い声・遠い部屋」も読んでみようか?

読んだ本の感想までは書いていないが
25年前から完読した本の題名だけは小さな手帳につけている。
今年はこの「ティファニィで朝食を」が最後の本で。通算すると3017冊になった。
後何年?後何冊の本?が読めるだろうか。。。


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by fusk-en25 | 2016-12-31 10:14 | 本を読む | Comments(4)
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北村薫を一番最初に読んだのは「スキップ」だったと思う。
「僕らの時代の学園祭に風景が似ている」と友達に勧められて、本を送ってもらった。
確かに、作者と私は同世代だから似通った学園祭が出てくるのは懐かしかった。
それ以上に国語の教師がこんな風に古文も紐解いてくれたら。
高校時代現代国語は好きだったが。
古文はちゃんと解釈をすればそれなりに面白いだろうに
怠けていてそんなに得意な学科ではなかったのが、今になれば惜しまれる。
自分の怠けていた事を棚に上げて
「こんな教師ならいい」と言うのもおこがましいのだが。。。
しかし もしも主人公のように、高校の年齢から40歳代へ「その間のいいところ?」の
時間を飛ばされてしまうのは、
その頃ケン・グリウッドの「リプレイ」も読んでいて。
同じタイムスリップでも繰り返えせる生涯なら悔しさも少ないのに、
その時代がすっかり無くなるのは、自分自身の若い頃を考えても
「割りに合わない」「勿体無い」と随分損をしたようになる気分は拭えなかった。

その後、すぐに三部作と言われる「ターン」を読んだ。
この小説はもっと好きだった。
タイムスリップをする幅が遠い未来でも過去でもなく「現代」の今日昨日という
短い時間なのが面白い。
しかも実際に本来の場に戻れるかどうかわからない不安を濃厚に持ちながら。
最終的に希望を失わず「明日がなくてもいい。今日やるのだ」と、
版画を擦り出す主人公に拍手をしたいような気持ちだった。
「背水の陣」や「絶壁感」になるとやたら張り切る私の性格がそんな場面に同調したのかもしれない。

「円紫さん」「ベッキー」「覆面作家」などのシリーズも読んで
どれもそこそこ好きだったが、
最も好きなのは「月の砂漠をさばさばと」だろうと思う。
小学生のさきちゃんの目を通して、日常に起こる色々な母娘二人だけの生活が
ふわふわと楽しげに、痛々しい時もありながら、素直な目で書かれていて
読んでいても清々しい希望が感じられる話だった。
その続編とも思える「ひとがた流し」はさきちゃんが大きくなった時に。
周囲の大人の女たちはこんな風に年齢を重ねてきたのだと
彼女たちの変化に自分の思いも重ね合わせ、ごく身近な人たちのような錯覚さえも抱かせられて
懐かしい人たちにまた会えたような気分になりながら。
登場人物全てに感情移入をしてしまった?

北村薫だけでなく、本格的推理小説というのは私はあまり好きでない。
トリックを見抜くなんて。どうでもよくてそれより登場人物が
何を考えどう行動していくかの方がずーっと興味があるからだろう。


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by fusk-en25 | 2016-10-14 06:16 | 本を読む | Comments(4)

久しぶりにSFを読む。

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誕生祝いに本をもらった。
「紙の動物園」ケン・リュウ(劉宇昆)
初めて読んだ作家だが。
2002年から2013年までに発表された70編の短編の中から15編を選んで編まれていた。
中でも書名になった「紙の動物園」は秀逸だった。
コネカチットに住んでいるアメリカ人と結婚した中国人の母親が
彼女が作った折り紙の動物に息を吹きかけると。
その折り紙の動物が生きているように動く魔術のような話なのだが。
ファンタジーとしての面白さより、その家庭を取り巻くアメリカの状況が
浮き彫りにされているようで、共感を感じる。

この話の背景になっているアジア人の悲しみを思うと、
私がここで暮らして、そういう場に行き合わせなかったからかもしれないが。
あからさまに東洋人として差別を受けたことはほとんどない。
様々な人種が住むパリの状況からも、
しかも日本が経済大国になってきた時代の恩恵もあったのだろう。
私が日本人とわかると好意的な接し方をされる場合の方がどちらかといえば多かった。
それでも「紙の動物園」の背景にあるアメリカに住むアジア人への意識は
なんとなくわかるような気がする。
異国にいる者の持つしんどさとまでは言い切れないが。
自分と違った文化圏にいる緊張感に似たようなものがあることも、
言葉の不自由な場所で、たった一人異邦人として暮らす儚げな気持ちも理解できる。

私自身は望郷の念はほとんどない。
紙の動物園の母親のように帰る場所がなくなったわけではないから、
帰りたければいつでも帰れる安堵感もあるのだろう。
もしも帰りたい気持ちが起こっていたら、とっくの昔に帰っている。
だからと言ってここに住むのが絶対に素晴らしいなんて言う気持ちもない。
なんとなく住んでしまって、時が経ったぐらいの気楽な(いいかげんな?)感じの方が強いが。
自分自身が常に日本人だという意識は日本に住んでいた頃より濃厚に持っているとは思う。

この本の中の他の短編はそれなりに面白い設定もあるが、
まあ言えばごく普通のSF小説だった。
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by fusk-en25 | 2016-06-19 10:48 | 本を読む | Comments(2)
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この本に出会ったのはもう30数年前。
パリの日本人向けリサイクルショップの本棚だった。
大して興味を持たない題名だったが、著者の名前に惹かれた。
実は私の旧姓に似通っていたからだ。
同じような名前に親近感が湧いたのだろう。
買ってきた何冊の本と一緒に積み上げて。時々パラパラ見ていて。
最初は大して気にもとめずに読み始めたのだが
知らなかった家事のやり方が丁寧に書かれていて
中には古いなあと思えるようなものもあったが。
何しろ文庫になったのが昭和59年。単行本にまとめられたのは55年。
本の元になった日経新聞の掲載が昭和41年というから相当昔の?話ではある。
たくさんのお年寄りからの聞き書きをまとめた家事のやり方が
・日々を楽しむ(早起き、細切れ時間の使い方。姑暮らし。趣味仕事。。。)
・料理を楽しむ(料理の勘。米とぎ。豆料理。摘み草など。。。)
・物をいたわる(虫干し。針仕事。敷きのし。つくろい。。。)
・暮らしをはかる(不時の備え。年中行事。やりくり。。)
項目を上記のように4つに分けて内容も多岐にわたって詳しく書かれている。
中にはたんに古いと片付けてしまえない事柄も色々あった。
しかもこの本は読んでいて面白かった。
何年も前に実際に祖母や姑たちが普通にやっていた家事。
それが彷彿される。
私が子供の頃は書かれている布団など祖母が毎夏こしらえていたし、
解いた着物を伸子で貼られているのを見たこともある。
洗濯一つにしても
「今は機械で洗うのだからせめて干し方ぐらい考えたらどうか」とか。
「もっと歳がいって外に出られなくなったら
縫い物の楽しさを知らない人はどうして時を過ごすのだろう」と書かれている。
お年寄りが家事の中で自分の位置をまだ楽しめた時代だったのだろう。
舅の破れた靴下を「そんな物安いから買うたらええのに」と言われながら
勿体ながってたんねんに繕っていた姑の姿と重なったりした。
今も時たま、これはどんな風にやるのだったかと
調べるために読み直すこともある。
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by fusk-en25 | 2016-02-11 09:03 | 本を読む | Comments(6)
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ぼんぼん、兄貴。おれたちのふくろ。そして牧歌。
今江祥智の4部作には思い出がある。
10年以上も前になるが
パリのブックオフで新潮文庫の「ぼんぼん」を見つけて読んだ。
続きが「ぼんぼん」を含めて4部作になっていて
他のどれもまだ文庫にはなっていなかった。
しかも単行本もその頃、絶版に近いという。
本がまだネットで手に入る時代でもなかった。
読みたい読みたいと騒いでいたら。
いつも私に本を見つけて送ってくれる友達が5泊6日だったか
7泊8日かパリに来ることになり。
友達の妹がそれなら図書館で借りて持っていったらどうかと思いつき
借りてきてくれた。
さあ5日間ぐらいでこの3冊を読み終えれるかどうか。
勿論。夜を日に継いで。読んだ。読んだ。
彼女が帰る一日前ぐらいに読み終えて返せたから
思い残すことはなくなったが。。
「かえって忙しい目をさせてしまいましたね。」と妹さんには言われたが
私は大満足だった。
その後4部作をこんな風に読んだ話をまた別の友達にした。
その本なら持っていると言って
パリに来た時に3冊揃えて持ってきてくれた。
本が手元にあるのは本当に嬉しい。幸福な気持になる。
空襲で焼け出されるまでの大阪の話から始まるぼんぼんは
特に地名にも懐かしさを感じて。あの頃の大阪を彷彿される話に惹かれる。

小説をリアルにするために作家は色々工夫をするのだろう。
話の筋には直接関係のない 料理や釣りや花の話を
小道具として巧みに使うことによってより深みのある文章が出来てくる。
今江祥智はその小道具に「方言」を上手に取り入れていると思う。
生まれ育った大阪弁に加えて
疎開先の和歌山弁。新任で勤めた名古屋の。兄に会いに行く四国の言葉。
どれもそれぞれの言葉から生き生きした感情が伝わって来る。
ぼんぼんの他にも「冬の光」や「優しさごっこ」を読んだ。
どれも好きな小説で、この続編が書かれなかったのを残念に思う。
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by fusk-en25 | 2016-01-16 06:14 | 本を読む | Comments(2)

素晴らしき贈り物。

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年明けの月曜日。
玄関脇の管理人室の前を通ると
「荷物が来てますよ」と声をかけられた。
重いから持って上がれるかと聞かれたが。
この箱でこの重さ。。待ちに待った本にちがいない。
15kgあまりの箱は持ち上げられなくてエレベータまでは管理人が運んでくれ
住まいの階についてから家までは廊下を引きずって運んだ。

物心ついた頃から本を読むのは好きだった。
一人っ子で大人の間で育ち 近くに一緒に遊ぶ子供もなく
病弱だったから、走ったりころげたりして遊んだ覚えは全くない。
幼稚園に行きだしても同じでお遊戯さえ大嫌いだった。
自分でも下手くそでみっともない格好だと思っていたのだろう。

幼稚園時代に猩紅熱にかかった時、
他の子供と手をつなぐと感染するから休むように祖母に言われて
「誰ともいっぺんもお手てなんかつないだことはない」と答え。
「そうしたら何をしてるの?」と尋ねられて
「お部屋で一人本を読んでいる」と言ったらしい。
その頃はまだ児童書が少ない時代だったから
いつも本には飢えていて、大人の本でも読めるところを拾って
分からないながら読んでいた。

本に対する飢餓感は外地に住む今も同じで
何か欲しいものがあるか?と尋ねられると
本が欲しいと真っ先に答える。
ほとんど同じ本を2度読み返すことはないから
もらった本が重複すると悔しくて悔しくてたまらない。
できればくれる前にリストを欲しいというのだが
リストを作るのはまた面倒なものでみんな嫌がる。

今日着いた小包もここ10年ほどの間に何度か
義弟が読み終えた本をまとめて船便で送ってくれているのだが
リストなど邪魔くさい、もしも重複したら捨てればいいという。
簡単に本を買うことができるのならそう言ってもいいのだろうが
本に執着してる私にはとんでもない話で。特に本は絶対に捨てられない。

ただこんな風に本を送ってもらえると
自分で本を買うのとまた違った楽しみ方が出来るのに気がついた。
私自身ならおそらく買わないだろうタイプの本が入っていて
本を目の前にするとやっぱり読みたくなる。
新しい分野に挑戦する面白みをここ何年かの間で何度も味わった。

今日も70数冊の本を前にして
船便としてはぴったり2ヶ月で届いた速さに感激もしながら
さてどれから読もうかと色々な本をちらちら開けてちょい読みしてる私は
かなり興奮して。。。。
舌なめずりしているような顔にきっと見えるだろう。
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by fusk-en25 | 2016-01-06 11:20 | 本を読む | Comments(10)

懐かしい本。岩波文庫

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私が持っている本の中で最も古いのは
右側の岩波文庫「小公女」だと思う。昭和29年3月25日発行 170円。
当時の物価から見るとかなり高い値段の気がする。
近所の本屋にも小学校の図書館にもまだ岩波文庫は置いてなかった。
母が幼稚園の教師をしていたから
出入りの本屋の推薦で買ってきたのだろう。
「床下の小人たち」「メアリーポピンズ」「袋小路一番地」も
その頃は同じ装丁のものを持っていた。
息子が生まれて新しい版に買い直したから
この装丁の本で持っているのは
小公女と「あらしの前」「あらしの後」だけになってしまった。

日本の童話は桃太郎や、舌切り雀などあまりにも現実とかけ離れた話が多いが
翻訳された岩波文庫の話は実際の子供達が活躍することが多くて
現実感があったのだろう。どれも好きだった。
まだ出版物もそんなに多くない時代だったから
数少ない本を何度も何度も繰り返し読んでいた。
袋小路一番地だけは知人に貸して返ってこず、もう絶版にもなって見つからず
私の幻の本になってしまったが。いまだに内容は覚えている。

本を持って帰ってきた母の方は幼稚園に勤めながら
「女性週刊誌」以外の本を読んだことがない人で。
おとぎ話の絵本ぐらいは職業柄見ていたかもしれないが。。。

本を与えられると貪るように読んでいる私に
感想をまず聞く。そして「どんなこと書いてあったん?」と尋ねる。
こんな話で、こういうとこが面白かったと答えると
翌日 幼稚園の子供達に。
「センセのおうちの⚪︎子ちゃんは昨日小公女のご本を読んでね。
こんなお話でこういうとこが面白かったと言ってたよ」
と私に聞いたことを話していたらしい。
自分が読んだとは流石に言わなかったのは。
子供達に「センセ お話の続きはどうなるの?」と聞かれると困るからだろう。
幼児教育に関わる者としてはずるい話である。。。

私が18歳ぐらいの時、受け持っていたクラスの子供全員が卒園式の後に
私の家で送別会をした。
やってきた子供達は私を見て驚いた。
「僕らなあ。⚪︎子ちゃんがこんなに大きいとは思わなかった」
子供達全員が私のことを自分たちと同じ年齢だと思っていたのだ。
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by fusk-en25 | 2015-10-19 07:13 | 本を読む | Comments(2)
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三島由紀夫も川端康成も実はあまり好きな作家ではない。
潮騒から金閣寺までの三島の作品はまだいいと思ってはいたが
その後どんどん右傾化していくような気がして。
心情的にはどちらかと言えば左派に近かった私は嫌いになっていった。
川端康成に対してはどの作品も弱々しい感じがして。
「古都」を読んだ時はまるで京都観光案内の下書きかと思ったほどだった。

ただ何年か前に川端康成の随筆「一草一花」美の存在と発見の項を読んでいて。
ハワイのホテルの庭で朝食を食べていた川端康成が
脇のテーブルに無造作に積まれているコップに朝陽があたり
きらめいている様を見ているとなんとも言えない気持ちになると書かれていた。
あぁこんな感性で物を見る人だったのかとちょっと見直して、
そのことを夫に話した。
夫はちょうどその時。三島川端の往復書簡を読んでいて。
三島もコップのことを同じ様に川端宛に書いていると教えてくれた。
ふーん同じ気持ちを持つこともあるのだとその時は思ったが
書簡集は私の偏見で嫌いだから読まなかった。

1年ほど前、何気なく本棚を見ていて。
ふとどんな手紙の書き方なのかと読み始めた。意外と面白い。
最初の数年はその頃すでに川端が作家としてなしていたから
若い三島が川端を師と仰ぐ様な文章で対等でないのだが
どんどん三島が力をつけてくると、二人の間が接近し始め
微妙に二人の文章が変わっていくのが見え出す。
勿論二人とも礼儀正しい書き方で、それとなく変わっていくのだけれど
人間関係はこんな風に大人の関わりになっていくのかと思えて興味深かった。

書簡集を読んだ後。
ひょっとすると川端の作品も私が14歳ぐらいの若い頃に読んだから
つまらないと思ったのかと「雪国」を読み返してみた。
彼の時代と現代との差をいくら差し引いて考えてみても
やっぱり面白くない。
あの時代の温泉芸者はこんな風だったのかと風俗的には判るが
それがまたちっとも色っぽくなくてつまらなかった。
出だしの「長いトンネルをぬけると」だけで
この小説の情感は終わっているのではないかとさえ思えて。
結局「伊豆の踊子」は読む気にもならなかった。
きっと私には合わない作家なのだろう。
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by fusk-en25 | 2015-10-17 05:15 | 本を読む | Comments(15)
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辻邦生は若い頃から好きだった。
1966年に「夏の砦」を読んだ時、
まだ見ぬ西洋の石棺のほの暖かなそれでいてひんやりするだろう。
そこに横たわろうとする人の感触まで感じられてドキドキした?ものだった。
「西行花伝」「春の戴冠」「樹の声、海の声」などどの作品も好きだが
強いて挙げれば「嵯峨野明月記」
本阿弥光悦 俵屋宗達 角倉素庵の3人が織りなす美に対する3人のこもごもの
思いが どちらかといえば嫋々たるイメージで弱々しい雰囲気と言われる辻邦生の感じを超えて私にはたくましい男たちの息吹が浮かび上がってくる。
そして「安土往還記」「天草の雅歌」の3編のあとに書かれた
「背教者ユリアヌス」には特に思い出があって忘れがたい。

1973年から74年。1歳の赤ん坊を連れて私と夫は約1年間。
パリから南仏を足場にして欧州のあちこちを放浪に近い暮らしをしていた。
9月にパリについて半年ほどは20畳ぐらいの一間にキッチン風呂トイレのついた小さなアパートに暮らしていた。
冬になって、毎日のあまりの天気の悪い鬱陶しさに(灰色の箱の中に住んでいるような気分だった)根をあげて
74年の4月に南仏へ家財道具と言ってもアパートは家具付きだったから
トランク二つに日用品を買い足したわずかな荷物を車に積んで移動した。
勿論南仏にあてがあったわけではない。
天気さえ良ければどこでもいい。良さそうな場所が見つかったら住めばいいと
いい加減な気持ちで出発したのだが
南仏では3ヶ月間なら敷金も要らないヴァカンス用の貸しアパートがどこの海辺にもある。 カンヌから50km離れた漁港の側に小さな海水浴の浜辺があるだけの
素朴な街にアパートを見つけた。
そこで暮らしていた時、たまたま日本からパリに旅行に来た私の叔父が
頼んだ「背教者ユリアヌス」の文庫3巻を持ってきてくれた。
本もほとんど持っていなかったその時代。活字には飢餓状態だったから
食いつくように読み出した。
まず夫が上を読んで中に進んでいたから
私が上を読み始めて読み終えても。夫はまだ中の半分くらいを読んでいる。
今は随分衰えた?けれど。その頃の私は本を読むのが極端に早かった。
飛ばして読むのでも速読をやっていたわけでもない。
何時間か夫が読み終わるのを待っていたのだけれど。
私の待ちどうしい気持ちに気がついたのだろう。
「なあこんなことやりたくないけれど、仕方がないから、本を半分に切ろうか」と言い出した。
本を切るなんて考えられないことだったが。読みたい気持ちが抑えられなくて
背表紙を半分に切った。
後にも先にもこんな読み方はしたことがない。
夫も「お前と同じ本を読むのは2度とやりたくない。まっぴらだ」
と長い間言っていた。
半分に切った文庫は74年に日本に帰る時に処分したから持ってないが。
その後買った分厚い単行本も、文庫本3冊も持っている。
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by fusk-en25 | 2015-09-09 07:36 | 本を読む | Comments(6)
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文春文庫の巻末にある著書目録で
工藤久代の「ワルシャワ貧乏物語」の題名を見ていた時は
若い人がワルシャワに留学した体験を綴ったものかと思っていて。
取り寄せてまで読みたいとは思わなかった。
10数年前、たまたまパリの日本人向け?のリサイクルショップで本棚の片隅に
この本を見つけ 何気なく買ってきた、確か100円もしなかったと思う。
読み出して驚いた。
私の母の世代の人が欧州でも東側とその頃呼ばれていた共産主義圏のポーランドで
大奮闘?をする物語だったから。
私は1980年代の初めにまだ東側と呼ばれていた時代のモスクワや
チェコのプラハに旅行もしていたから ワルシャワで生活するのは。
物を手にいれるのに何時間も並んだり複雑な手続きをしなければ買えないことを
思うと パリも日本食などまだ簡単に手に入る時代ではなかったが
格段に生活の質が違うだろうと想像はできた。
しかもその体験が気負いたったところが全くなく。
なんともあっさりと書かれていて「おぉやるなあ」と痛快な気持ちにすらなった。

体験の中にプラムの一種のミラベルで梅干しを作ったと書かれていた。
ワルシャワでできるのなら私もと試しになるだけ青いミラベルの実を1kg選んで
「保存食ノート」(佐藤雅子著)のレシピ通りに漬けてみた。
味は少しミラベルの甘みは残るが。見た目は梅干しもどきのような物はできた。
ただこの梅干し 塩漬けまでは簡単にできる。その後の土用干しの時期が難しい。
土用になっても日本のようにかんかん照りになることの少ないこの地で。
ちゃんと晴れるかどうか心配で
結局2回ほど漬けただけで止めてしまった。
今年のように好天気続きなら上手く土用干しもできたかと
昨日マルシェでミラベルの初物を見たから ちょっと残念な気もしている。
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by fusk-en25 | 2015-08-10 10:32 | 本を読む | Comments(6)