煌めく光の中で


by fusk-en25

カテゴリ:本を読む( 18 )

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本の中を彷徨っている。
「片付けないで古い本を読み耽ってるのとちゃうか?」
私ならありそうなことだと息子が笑う。
「やってへんって」と言いながらも、
本当は積んである本をパラパラめくりたい。。誘惑にはかられる。

2週間ほど前に整体に行った時。
施療士に
「ちょっと体が草臥れている。ヴァカンスなんだから、動くのもゆっくりにしたほうがいい」
とは言われていた、
私自身、疲労感の意識はさほどないのだが。そんな風に言われると
「言い訳」ができて。
普段なら昼間は読まないことにしている本も。
これ幸いと堂々と寝そべって読みふける。

しかも川上弘美の長編「水声」をもらった。
元々好きな作家だから食いついて読み出した。
「ああ彼女はここまで来たのか」というと変だが。
気持ちに染みいるような小説だった。
普通から見れば妖しげな、どちらかと言えば「いかがわしい」とさえ思えるような状況を。。。
なのに。その中にいる主人公たちがあまりにも人間としては健全な。
寧ろ清々しいような感じがして。心が深く揺すぶられる。

川上弘美を初めに読んだのは
確か「センセイの鞄」だった
あの温かな人間関係に惹かれて。文庫になっている本はほとんど読んだ。
数えてみたら17冊。
「古道具屋 中野商店」や「どこから行っても遠い町」も好きだったが。
センセイの鞄の頃のどこかまだ少し舌足らずな。
これだけは書きたいという思いの方が幾らか先走っていたような。
そんなものがこの「水声」からはすっかりなくなって、透き通るような感じがした。


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by fusk-en25 | 2017-08-08 07:04 | 本を読む | Comments(0)

若い作家の本を。。。

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「こんな作家を読まれたことがありますか?」と
日本に帰っていた友から若い作家の本をもらった。
澤田瞳子。
母堂は作家の澤田ふじ子と言う。
澤田ふじ子なら、私と同世代でもあり、
しかも京都在住の親近感から過去に何冊もの本を読んだ。
特に長谷川等伯や生け花作家を主題にした本は好きだった。

さて、その澤田瞳子。
編集された「大江戸猫三昧」
小説の「若冲」と仏師の定朝を主人公にした「満つる月のごとし」
の3冊。3日ほどの間に一気に読んだのだが。。
編者になっている大江戸猫三昧は
岡本綺堂から始まって10人の作家の短編が編まれいて。
さすがに選ばれた面々の面目躍如と思われる作が並んでいる。
ふーん猫を扱うだけでこんな編み方もできるのか?
と思いながら読み。

小説になった
若冲や定朝のことも作者が歴史家と言うだけあって
しっかり時代背景が書かれている。
中でも「滿つる月のごとし」は仏師・定朝自身を主人公にせず。
親交の深かった青年僧・隆範を通しての平安末期当時の貴族社会や
信仰のあり方。武士の台頭など背景になる都の風俗もわずかながら感じられる。
仏師・定朝の作で現存していると言われる宇治平等院の阿弥陀如来を
このような角度で捉えていく様が。
仏像として気高いだけでなく生身の人間に近い憧憬を表したのだろうと
平安末期の時代の転換期に、当時の人々が何を欲したのかを
幾らか想像もできて興味深かった。
歴史小説としてみれば少し軽い感じもしたが。。

今後どんな小説を彼女が書いていくのか?
楽しみな作家の気がする。


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by fusk-en25 | 2017-08-01 07:35 | 本を読む | Comments(0)
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ナタリア・ギンズブルグは「ある家族の会話」1冊しか読んでないのだが。。
しかも、昨夜読み終わったばかりで、
私自身まだいくらか本の中にさまよっている感じも残っている。。。

私としてはこの本を珍しく10日あまりもかけて読んでいた。
ここひと月あまり部屋を改造中で、本を開ける回数が極端に少なかったせいもあるのだが。
一気に読まないことがこの本にのれなかったと言うことではない。
いつ読みかけても、常に同じペースで迫ってくるというか。。
表題が示すように「家族の会話」が中心になされながら。
それを解説する地の分の淡々さが、
会話が持つ生々しさをさらっと抜けるような書かれ方に。。それらがまた凛として。
それでいて読み進むうちに。家族や彼らを取り巻く親しい人たちが。
一人一人しっかりと浮かび上がってくるような確かさに。。
いつのまにかトリノの彼らの家の前の道を
彼らと一緒に歩いているような気分にさせられる小説だった。

ナタリア・ギンズブルグを読んでみたいと思ったのは。
いつか須賀敦子のこともまとめてみたいと考えていて。
彼女がこの本の翻訳をやりたいという気持ちが何故起こったのかを知りたかった。
今はまだそれが何故だったのかは明確にここがこうだとは言えないまでも。
この小説のあたかもそっけない感じにあえて書かれている文体に。
自分の思想を持つことが命をかけることに直結して繋がる深い哀しみの時代を
単に哀しみという形で表さない、ある意味での潔さとでもいうのだろうか。
その重さを淡々と語りつくされていく様が。
家族がちりちりばらばらに流刑の地に追いやられたり。夫のレオーナを失うことすらも。
その想いの深さは形になって書かれているのでない。
書かれていない一種のすごさのようなものが、かえって淡々と綴られることによって。
より深く私の中に食い込んでくるような気がした。

もう一冊持っている彼女の。。。より小説らしい小説と言われている
「モンテ・フェルモの丘の家」も近いうちに是非読みたいと思っている。


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by fusk-en25 | 2017-07-05 07:51 | 本を読む | Comments(2)
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たった一冊だけ彼女が訳した「愛しのろくでなし」を読んだのが
彼女を知るきっかけで。ずーっと「翻訳家」だとばかり思っていた。
ロクデモナイ男と知りながらそれでもなおかつひたすら愛してしまう女たちに
一種の甘やかな、それでいてどうしようもなくひきづられる気持ちに共感を感じて。
他の翻訳はないかと探していたら。
見つかったのが「大統領のクリスマスツリー」だった。
タイトルから、その本も翻訳書だろうと思って。
読み始めたら、彼女自身の小説なのを知って、驚いたのだが。。
男と女が織りなす切ない気持ちがありながら結局は潰れてしまう互いの儚さに
またなんとなく惹かれるものも感じて。
デビュー作の「川べりの道」や「駆ける少年」など文庫になっているものはことごとく読みふけった。
あの若い日に「川べりの道」のような小説が書けたのかと思うと。
彼女がなぜそんなにも生き急がなくてはならなかったかと。
若い頃の私は、死をいつも身近に見据えて暮らしていた時代も持っていて。
生きることが面倒になる気持ちもなんとなく理解はできるし。
精一杯生きて力尽きたとは思うのだが。。
それにしても「結果を早く出しすぎたのじゃない?」と。
惜しいと言いたい気持ちはいつも残っている。


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by fusk-en25 | 2017-05-30 09:09 | 本を読む | Comments(4)
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ブログ「梨の木日記」の梨の木さんのアラバマ物語の感想から。
トルーマン・カポーティに繋がって、
この作家の小説は30代で嵌まって読んだ記憶があるから懐かしかった。

特に好きだったのはアラバマ時代と言われる
「草の竪琴」や「クリスマスの思い出」で
有名な「ティファニィで朝食を」はその頃あまり好きでもなかった。
今ならどんな感じに読めるだろうと。
月の初めから古い本を引っ張り出して読み出した。

まず「草の竪琴」を
アラバマの草の匂いまでしてくるなあと思いながら読んでいて。
細部は忘れていても自分の中にイメージが濃厚に残っているのを発見したりして。
続きに「夜の樹」や「カポーティ短編集」も。
短編はどれももう完全に忘れているのだが。
読んでいるうちに変な現象が起こってきた。
普通は読んでいる時点で次々に絵が浮かぶ、
今回はその浮かぶ絵がまだ読んでいないほんの少し先まで見えてくる。
もちろん30年も前とは言え読むのは2度目だから、
以前一度想像した絵がどこか記憶に残っていたのだろうと言ってしまえるかもしれないが、
すっかり忘れている話なのにちょっと先が浮かんでくるのはなんとも不思議な感覚で
それはまた既視感でもない変な状態だった。
本を2度読むことはほとんどないから、再読とはこんな風になるのかと思ったりもして。
最後に、映画にもなって有名なのに
好きでなかった「ティファニィで朝食を」はパスしようか?と思いながらも、
読み出すとこれが意外と面白く「ティファニィで朝食を」はこんな小説だったのか?
と新たな発見をしたような思いがする。
私の年齢からくるのか?それともこの30年近くの間に
西洋の翻訳小説をかなり読んだ結果、アメリカやニューヨークのことが以前より理解が深まったからか?
行きつけのバーの喧騒や匂いまで想像できる気がした。
来年は持っている「冷血」や「遠い声・遠い部屋」も読んでみようか?

読んだ本の感想までは書いていないが
25年前から完読した本の題名だけは小さな手帳につけている。
今年はこの「ティファニィで朝食を」が最後の本で。通算すると3017冊になった。
後何年?後何冊の本?が読めるだろうか。。。


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by fusk-en25 | 2016-12-31 10:14 | 本を読む | Comments(4)
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北村薫を一番最初に読んだのは「スキップ」だったと思う。
「僕らの時代の学園祭に風景が似ている」と友達に勧められて、本を送ってもらった。
確かに、作者と私は同世代だから似通った学園祭が出てくるのは懐かしかった。
それ以上に国語の教師がこんな風に古文も紐解いてくれたら。
高校時代現代国語は好きだったが。
古文はちゃんと解釈をすればそれなりに面白いだろうに
怠けていてそんなに得意な学科ではなかったのが、今になれば惜しまれる。
自分の怠けていた事を棚に上げて
「こんな教師ならいい」と言うのもおこがましいのだが。。。
しかし もしも主人公のように、高校の年齢から40歳代へ「その間のいいところ?」の
時間を飛ばされてしまうのは、
その頃ケン・グリウッドの「リプレイ」も読んでいて。
同じタイムスリップでも繰り返えせる生涯なら悔しさも少ないのに、
その時代がすっかり無くなるのは、自分自身の若い頃を考えても
「割りに合わない」「勿体無い」と随分損をしたようになる気分は拭えなかった。

その後、すぐに三部作と言われる「ターン」を読んだ。
この小説はもっと好きだった。
タイムスリップをする幅が遠い未来でも過去でもなく「現代」の今日昨日という
短い時間なのが面白い。
しかも実際に本来の場に戻れるかどうかわからない不安を濃厚に持ちながら。
最終的に希望を失わず「明日がなくてもいい。今日やるのだ」と、
版画を擦り出す主人公に拍手をしたいような気持ちだった。
「背水の陣」や「絶壁感」になるとやたら張り切る私の性格がそんな場面に同調したのかもしれない。

「円紫さん」「ベッキー」「覆面作家」などのシリーズも読んで
どれもそこそこ好きだったが、
最も好きなのは「月の砂漠をさばさばと」だろうと思う。
小学生のさきちゃんの目を通して、日常に起こる色々な母娘二人だけの生活が
ふわふわと楽しげに、痛々しい時もありながら、素直な目で書かれていて
読んでいても清々しい希望が感じられる話だった。
その続編とも思える「ひとがた流し」はさきちゃんが大きくなった時に。
周囲の大人の女たちはこんな風に年齢を重ねてきたのだと
彼女たちの変化に自分の思いも重ね合わせ、ごく身近な人たちのような錯覚さえも抱かせられて
懐かしい人たちにまた会えたような気分になりながら。
登場人物全てに感情移入をしてしまった?

北村薫だけでなく、本格的推理小説というのは私はあまり好きでない。
トリックを見抜くなんて。どうでもよくてそれより登場人物が
何を考えどう行動していくかの方がずーっと興味があるからだろう。


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by fusk-en25 | 2016-10-14 06:16 | 本を読む | Comments(4)

久しぶりにSFを読む。

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誕生祝いに本をもらった。
「紙の動物園」ケン・リュウ(劉宇昆)
初めて読んだ作家だが。
2002年から2013年までに発表された70編の短編の中から15編を選んで編まれていた。
中でも書名になった「紙の動物園」は秀逸だった。
コネカチットに住んでいるアメリカ人と結婚した中国人の母親が
彼女が作った折り紙の動物に息を吹きかけると。
その折り紙の動物が生きているように動く魔術のような話なのだが。
ファンタジーとしての面白さより、その家庭を取り巻くアメリカの状況が
浮き彫りにされているようで、共感を感じる。

この話の背景になっているアジア人の悲しみを思うと、
私がここで暮らして、そういう場に行き合わせなかったからかもしれないが。
あからさまに東洋人として差別を受けたことはほとんどない。
様々な人種が住むパリの状況からも、
しかも日本が経済大国になってきた時代の恩恵もあったのだろう。
私が日本人とわかると好意的な接し方をされる場合の方がどちらかといえば多かった。
それでも「紙の動物園」の背景にあるアメリカに住むアジア人への意識は
なんとなくわかるような気がする。
異国にいる者の持つしんどさとまでは言い切れないが。
自分と違った文化圏にいる緊張感に似たようなものがあることも、
言葉の不自由な場所で、たった一人異邦人として暮らす儚げな気持ちも理解できる。

私自身は望郷の念はほとんどない。
紙の動物園の母親のように帰る場所がなくなったわけではないから、
帰りたければいつでも帰れる安堵感もあるのだろう。
もしも帰りたい気持ちが起こっていたら、とっくの昔に帰っている。
だからと言ってここに住むのが絶対に素晴らしいなんて言う気持ちもない。
なんとなく住んでしまって、時が経ったぐらいの気楽な(いいかげんな?)感じの方が強いが。
自分自身が常に日本人だという意識は日本に住んでいた頃より濃厚に持っているとは思う。

この本の中の他の短編はそれなりに面白い設定もあるが、
まあ言えばごく普通のSF小説だった。
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by fusk-en25 | 2016-06-19 10:48 | 本を読む | Comments(2)
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この本に出会ったのはもう30数年前。
パリの日本人向けリサイクルショップの本棚だった。
大して興味を持たない題名だったが、著者の名前に惹かれた。
実は私の旧姓に似通っていたからだ。
同じような名前に親近感が湧いたのだろう。
買ってきた何冊の本と一緒に積み上げて。時々パラパラ見ていて。
最初は大して気にもとめずに読み始めたのだが
知らなかった家事のやり方が丁寧に書かれていて
中には古いなあと思えるようなものもあったが。
何しろ文庫になったのが昭和59年。単行本にまとめられたのは55年。
本の元になった日経新聞の掲載が昭和41年というから相当昔の?話ではある。
たくさんのお年寄りからの聞き書きをまとめた家事のやり方が
・日々を楽しむ(早起き、細切れ時間の使い方。姑暮らし。趣味仕事。。。)
・料理を楽しむ(料理の勘。米とぎ。豆料理。摘み草など。。。)
・物をいたわる(虫干し。針仕事。敷きのし。つくろい。。。)
・暮らしをはかる(不時の備え。年中行事。やりくり。。)
項目を上記のように4つに分けて内容も多岐にわたって詳しく書かれている。
中にはたんに古いと片付けてしまえない事柄も色々あった。
しかもこの本は読んでいて面白かった。
何年も前に実際に祖母や姑たちが普通にやっていた家事。
それが彷彿される。
私が子供の頃は書かれている布団など祖母が毎夏こしらえていたし、
解いた着物を伸子で貼られているのを見たこともある。
洗濯一つにしても
「今は機械で洗うのだからせめて干し方ぐらい考えたらどうか」とか。
「もっと歳がいって外に出られなくなったら
縫い物の楽しさを知らない人はどうして時を過ごすのだろう」と書かれている。
お年寄りが家事の中で自分の位置をまだ楽しめた時代だったのだろう。
舅の破れた靴下を「そんな物安いから買うたらええのに」と言われながら
勿体ながってたんねんに繕っていた姑の姿と重なったりした。
今も時たま、これはどんな風にやるのだったかと
調べるために読み直すこともある。
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by fusk-en25 | 2016-02-11 09:03 | 本を読む | Comments(6)
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ぼんぼん、兄貴。おれたちのふくろ。そして牧歌。
今江祥智の4部作には思い出がある。
10年以上も前になるが
パリのブックオフで新潮文庫の「ぼんぼん」を見つけて読んだ。
続きが「ぼんぼん」を含めて4部作になっていて
他のどれもまだ文庫にはなっていなかった。
しかも単行本もその頃、絶版に近いという。
本がまだネットで手に入る時代でもなかった。
読みたい読みたいと騒いでいたら。
いつも私に本を見つけて送ってくれる友達が5泊6日だったか
7泊8日かパリに来ることになり。
友達の妹がそれなら図書館で借りて持っていったらどうかと思いつき
借りてきてくれた。
さあ5日間ぐらいでこの3冊を読み終えれるかどうか。
勿論。夜を日に継いで。読んだ。読んだ。
彼女が帰る一日前ぐらいに読み終えて返せたから
思い残すことはなくなったが。。
「かえって忙しい目をさせてしまいましたね。」と妹さんには言われたが
私は大満足だった。
その後4部作をこんな風に読んだ話をまた別の友達にした。
その本なら持っていると言って
パリに来た時に3冊揃えて持ってきてくれた。
本が手元にあるのは本当に嬉しい。幸福な気持になる。
空襲で焼け出されるまでの大阪の話から始まるぼんぼんは
特に地名にも懐かしさを感じて。あの頃の大阪を彷彿される話に惹かれる。

小説をリアルにするために作家は色々工夫をするのだろう。
話の筋には直接関係のない 料理や釣りや花の話を
小道具として巧みに使うことによってより深みのある文章が出来てくる。
今江祥智はその小道具に「方言」を上手に取り入れていると思う。
生まれ育った大阪弁に加えて
疎開先の和歌山弁。新任で勤めた名古屋の。兄に会いに行く四国の言葉。
どれもそれぞれの言葉から生き生きした感情が伝わって来る。
ぼんぼんの他にも「冬の光」や「優しさごっこ」を読んだ。
どれも好きな小説で、この続編が書かれなかったのを残念に思う。
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by fusk-en25 | 2016-01-16 06:14 | 本を読む | Comments(2)

素晴らしき贈り物。

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年明けの月曜日。
玄関脇の管理人室の前を通ると
「荷物が来てますよ」と声をかけられた。
重いから持って上がれるかと聞かれたが。
この箱でこの重さ。。待ちに待った本にちがいない。
15kgあまりの箱は持ち上げられなくてエレベータまでは管理人が運んでくれ
住まいの階についてから家までは廊下を引きずって運んだ。

物心ついた頃から本を読むのは好きだった。
一人っ子で大人の間で育ち 近くに一緒に遊ぶ子供もなく
病弱だったから、走ったりころげたりして遊んだ覚えは全くない。
幼稚園に行きだしても同じでお遊戯さえ大嫌いだった。
自分でも下手くそでみっともない格好だと思っていたのだろう。

幼稚園時代に猩紅熱にかかった時、
他の子供と手をつなぐと感染するから休むように祖母に言われて
「誰ともいっぺんもお手てなんかつないだことはない」と答え。
「そうしたら何をしてるの?」と尋ねられて
「お部屋で一人本を読んでいる」と言ったらしい。
その頃はまだ児童書が少ない時代だったから
いつも本には飢えていて、大人の本でも読めるところを拾って
分からないながら読んでいた。

本に対する飢餓感は外地に住む今も同じで
何か欲しいものがあるか?と尋ねられると
本が欲しいと真っ先に答える。
ほとんど同じ本を2度読み返すことはないから
もらった本が重複すると悔しくて悔しくてたまらない。
できればくれる前にリストを欲しいというのだが
リストを作るのはまた面倒なものでみんな嫌がる。

今日着いた小包もここ10年ほどの間に何度か
義弟が読み終えた本をまとめて船便で送ってくれているのだが
リストなど邪魔くさい、もしも重複したら捨てればいいという。
簡単に本を買うことができるのならそう言ってもいいのだろうが
本に執着してる私にはとんでもない話で。特に本は絶対に捨てられない。

ただこんな風に本を送ってもらえると
自分で本を買うのとまた違った楽しみ方が出来るのに気がついた。
私自身ならおそらく買わないだろうタイプの本が入っていて
本を目の前にするとやっぱり読みたくなる。
新しい分野に挑戦する面白みをここ何年かの間で何度も味わった。

今日も70数冊の本を前にして
船便としてはぴったり2ヶ月で届いた速さに感激もしながら
さてどれから読もうかと色々な本をちらちら開けてちょい読みしてる私は
かなり興奮して。。。。
舌なめずりしているような顔にきっと見えるだろう。
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by fusk-en25 | 2016-01-06 11:20 | 本を読む | Comments(10)