煌めく光の中で


by fusk-en25

カテゴリ:追憶( 48 )

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月見にぴったりの。。。と思えるような薄が。
道はたの植え込みの。。歩道を広げたようなコーナーに見事に植えられていた。
「頂きたいなあ」と夜陰に紛れて刈り取っても、家までの20分ほど持って歩く間に。
いかにも「花泥棒をしてきました」みたいになるだろうと。。諦めて。
見るだけにした。惜しいけれど。。

秋の野の草は薄にしても、吾亦紅にしても。。女郎花にも、
なんとも風情があって、しかもそれなりに自立していると言うか。
しっかり花がそれぞれのイメージを持っているような気がする。

祖母は月見を大事にしていた。
「お月さんは女の神さんやさかい」
縁側に置いた小さな机にたっぷり薄や萩を飾り。
団子や里芋をを供えて、蝋燭を灯し、月の出からずーっと座敷に座って眺めていた。

「うちはなあ。。絶対白い団子は買わへんのや」
たった一度。町中の何軒かの菓子屋を探しても餡の巻いた団子がなくて。
仕方がなく白い団子を供えた年があったと言う。

祖父は6人兄弟の長男で祖母が嫁した時、一番末の弟は3歳だったと。
「姉やん。姉やん」と懐き。祖母も可愛がっていたらしい。
その義弟が戦中の、30何歳かの時に大学病院で手術することになり。
「簡単な手術やし、姉さんにきてもらうこともない。3日もすれば帰ってこれる」
と前日祖母に会いにきて言い置いて出かけ、
「そう言うなら仕事の帰りにちょっと寄ってくる」と夕方見舞いに行ったはずの祖父が。
何時になっても何時になっても帰ってこない。心配で一晩寝ずに待っていた朝に、
ボソッと祖父が「お通夜してきた」と帰ってこられた時はもう暗澹たる気持ちになったと。
それ以来、うちは「げんの悪い白い団子」は買わへんのや。
毎年の月見の夜に。何十年経っても嘆きながら義弟を偲ぶ話を繰り返していた。
なんでも手術をした場所の血管を繋ぎ忘れての。。
今なら医療過誤になるようなことだったらしい。

中秋の名月。餡の巻いた団子を作って眺めたいと思う。



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by fusk-en25 | 2017-10-04 08:47 | 追憶 | Comments(2)

誕生日に。。

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孫の10歳の誕生日。
本人の希望で夕飯はセルフサービス食べ放題の鉄板焼きを食べに行った。
なんとも愛想がないメニューだが。。
それ以外ならマクドナルドとでも言い出しそうで。。。
デザートは食べずに帰って。
これまた本人の希望の。。昨夜焼いておいたチョコレートケーキにろうそくを灯す。

10年前のこの日。
逆子だった孫は帝王切開で生まれた。
朝9時に分娩室に入って30分ほどで生まれる予定になっていて、
遅くとも12時ごろには連絡できると言う話だった。
それが。。12時になっても1時になっても電話がかからない。
どうしたのだろう?と私たち夫婦はもう気が気ではない。
3時過ぎに嫁のお母さんから電話がかかって。。
「何か連絡がありましたか?」と尋ねられた。
「いいえ。電話の前で待っているのですが。。」
「うちもです。」もう少し待とうと言うことになって。。
5時になっても6時になっても連絡がない。
もう夫は心配のあまり顔色が変わってきている。
7時に産院へ行ってみようと出かけようとした玄関口で電話が鳴った。
「やっと出てこれた。」分娩室に急患が次々に入ってきて
手術を伸ばされ、ずーっと夫婦共に分娩室に留め置かれたまま、連絡ができなかったと言う。
「無事に生まれたん?」「もちろん母子とも元気で。生まれるのには5分もかからなかった」
「あーよかった」とへなへなした気分を立て直し。
明日、見に行くわね。と返事して。。
あれから10年。無事に過ぎたことを今夜もみんなで祝った。

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by fusk-en25 | 2017-10-02 07:00 | 追憶 | Comments(6)

甘い?

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すっかり晩秋?と思えるような気温になった。
しっとりとした長雨も降り続いて。長い冬の始まりかしら?とすら思える。
雨上がりの夕刻、雲にほんのりと夕焼けが映る。なんとも綺麗な光景だった。

確か、1歳の赤ん坊を連れてパリ・南仏を拠点に放浪していたすぐ後のことだから
1975年頃だと思う。
その頃父方の伯父が、テキスタイルデザインの巧房をしていて。
布地の図案を描くのが主な仕事で。
40人近くの人を雇っていたから。巧房としては大きい方だったのだろう。
伯父の道楽気味の考えで。いつまでも図案から図案を描き写すのはおもしろくない。
できれば実際の花の写真を見てそれからオリジナル?の図案を作りたいと言い出して。
夫に花を写してくれないかと持ちかけてきた。
日本に帰ってすぐのことでまだ働いてもなかったし。
そんな写真も面白いかもしれないと半社員みたいな形で仕事を始めた。
花の写真だから京都の植物園や大阪市大の植物園に行って写すのだが。
機材を持って歩くのは重くてカナンと車を買うことになった。

たまたま夫の実家に行って。舅と夕飯を外に食べに行って。
その話になった。
「今度車買うねん」「ふうんそうか。そんならわしもちょっとすけたるわ」と言う。
横で聞いていた私がすかさず「あーまい親。」と言うと。
舅は「えらい甘い親で悪かったな」と憮然としていた。
それからしばらくして。また実家に行った。
私の顔を見るなり姑がクスクス笑いながら。
「あんた、こないだお父ちゃんにあーまい親って言うてんてな。
お父ちゃん怒ったはったで、有難うと礼を言うならともかく、あーまいて言うやつや、てな」
「そやけど、ほんまにそう思てんもん」「あんたらしいわ」とまだクスクス笑ってる。
「でもお父ちゃん、お金くれはったで」「いっぺん言い出したこと、お父ちゃんもやめはらへんわ」

その時に買った 真っ赤なシビックで、舅や姑ともあちこちに行った。
もうその舅が亡くなって25年が過ぎる。
今日は舅の祥月命日でした。


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by fusk-en25 | 2017-09-10 07:07 | 追憶 | Comments(4)

お盆に。。

「門徒物知らず」と言われる通りに。。
しかも祖父が浄土真宗の寺の長男だったにもかかわらず。
初盆ぐらいは岐阜提灯を飾ったこともあったが。
我が家は仏様を迎える準備などしたことがなかった。
仏壇を掃除してお盆らしき花を供え、墓参りはしていたかと思う。

もしもあの世というものがどこかにあって、そこから
お盆になると帰ってこられる。
という風習は確かに気持ちの中の思いに残る人たちを偲ぶにしっくりして
いいものだなあとは思う。

去年、生家を処分して、お位牌はこちらに持って帰って、
息子の家に祀ってはいるが。。
そのお位牌の人たち。。本当にそこが居場所になったのかしら?
去年までの住み慣れた家は更地になっていると聴く。
どこかでウロウロ迷っておられるのではないかしら?
などと想像してみるのも、楽しいなんていうと不謹慎かもしれないが。。
ちょっとそんな気分も持ってもみる。

夫の遺灰を置いている場所に。
私に因んだ人たちの写真も一緒に飾っている。
時々、話しかけたりはしても。。
心の隅では彼らが仏様になってしまっているとはどうも思えない。
そんなあやふやなことを思いながら。。それでも「やっぱりお盆やもんなあ。。」と
ささやかな花を摘んで。明かりを灯し、お線香もあげた。


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by fusk-en25 | 2017-08-15 09:54 | 追憶 | Comments(0)

センチメンタル?

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空港まで友を見送りに行った。
7月に入っているので、空港内はかなり混雑をしていて。
搭乗口までの長い列の上に大きな画面の広告が。
こんなものを誰がみているのでもないだろうけど。
何もないよりいいのかな。。などとへそ曲がりなことも考えながら見ていて。

帰りは久しぶりにパリのオペラまでバスに乗った。
途中シャルル・ドゴール空港に一番最初にできた、ターミナル1も通る。
ここに住みだした1979年にはここに着いた。と思うと。
この丸い建物を見るといつも少しセンチメンタルな気分に陥る。
あの頃はこのターミナルもまだ新しくて、
なんだかSFの空港に降り立った気がしたものだが。。。
40年近くの年月の流れは、
建物も寂れてきたなあと幾らかセンチメンタルな感慨にも耽りながら見ていた。



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by fusk-en25 | 2017-07-04 10:35 | 追憶 | Comments(0)
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本棚を整理していたら、懐かしいガイドブックが出てきた。
インターネットが今ほど普及していなかった時代。
このガイドブックはベストセラーになりそうな売れ行きを見せていて。
この本に載った店のウインドウに取り上げられたマークが貼られていた時代もある。
パリの安い店というだけでなく。
パリからちょっと足を伸ばせば行けるようなパリ近郊の店も載っていて、
単に品物が安いだけでなく品質もそれなりの良さが判るのが特徴の一つだった。

本棚にはこの1999年版しか残ってないが。
それより前の10年ぐらいは私も何冊か買っていたように思う。
この本を知ったのは83年だったかの誕生日に面白い本が出たよともらったのが最初で、
今これをめくって見たら、あちこちの店に付箋が貼ってある。
何軒か行って見たのかもしれない。
どちらかというと本を見て何か買うより。どんな店があるのかと読んで楽しむ方が多かったが。

ある年に、浴室の壁を貼り変えるつもりでタイルを探していた。
近所のタイル屋ではめぼしいものが見つけられず
欲しいと思うようなタイルは注文して取り寄せるのに
一月ぐらいはかかるなどと悠長なことも言われて腐ってもいた。
このガイドブックにパリ近郊の50kmほど離れた小さな町に
有名なメーカのどうやら売れ残りらしいタイルを取り扱っている店が載っていた。
いっぺんここをあたってみようと行くことにして。
小さな町に着いたら、街中にはその所番地はない。
不思議に思って市庁舎の中のインフォメーションで尋ねてみた。
係の女の人が「その店なら、町をちょっと出た高台の野原の中にありますよ。
なかなか良いものを置いていて安くて私も行ったことがあるの」と地図を書いて教えてくれた。
ちょっと外どころか延々と道が続き小高い丘のようなところに大きな納屋のような店が建っていた。
こんなところにタイルがあるのかしら?と不思議な気分で入って行くと。
もうそれは大量のタイルが所狭しと積んであって。
店主は「そこらあたりから好きなのを探して取ってくれ」と
なんでも勝手に見つけろという風にぶっきら棒に言う。
ここまできたから。選ぶかと探したあげくにイタリア製の真っ白な綺麗なタイルが見つかった。
しかし半分箱が破れて、汚れているタイルもある。
「これ買うの?」と夫に聞くと。それでいいと言う。
店を出てから夫に「汚れたものが嫌いなあんたがよく買ったわね」と言うと。
「お前アホやな。陶器というもんは洗えば汚れは落ちるねんで」と答えるではないか。
さすがに陶器屋の息子の見識だなと、変に感心した覚えがある。
もちろん浴室のタイルも自分たちで貼りました。
タイルは貼るより前のものを剥がす方が倍以上手間がかかりましたが。。


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by fusk-en25 | 2017-05-09 06:05 | 追憶 | Comments(8)

桜を見ては。。

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うららかな陽気が続いている。
例年より半月ほども早く色々な花が開いて、愛でる間も無く散ってしまう。
そんなに慌てて咲かなくても。。と言いたいほどに。

桜の花も今年はあちこちでパーっと一斉に咲き出した。
もう少し花が少なければ味もあるのに。。
混み合った花を写すのはもっと難しい。。
などとぼやきながら新緑に合わせて下から見上げる桜はやっぱり綺麗だった。

息子がまだ歩きもしないときだったか。。
舅姑と私の母も入れて私たち夫婦に息子と6人で昼食を食べに行った。
大阪に17番街という高層ビルのてっぺんにレストランができて
見晴らしが素晴らしかったと母が言うので。
両親も連れて行こうと予約もして。
和気藹々、なごやかに洋食も食べていたのだが、
食事が終わり、エレベータを待っていたとき。
そーっと姑が私に囁いた。
「なあ、あのお料理。本当は美味しいものやってんやろうな。。」と
「ええ?なんで?」「緊張したんか、なんとなく食べにくうて味がわからんかった」
もう吹き出しそうになった。
食事中はちゃんと人並みに食べていて、
赤ん坊の息子に話かけたり上機嫌に見えたのに。
舅の方は反対にハイカラ好みでそう言う席が好きなのも知ってはいたし。
何より高層ビルがまだ珍しいだろうから喜ぶと思っていた。
「やっぱり鰻の方が良かったん?」「そう言うこともないけどなあ。。」
となんだか腑に落ちないような顔をしていた。。姑を思い出す。

桜の花が咲くと。。毎年のことながら、
なんであんなに慌てて早くあの世に行ってしまったのかと思う。

4月3日。今日は姑の祥月命日でした。

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by fusk-en25 | 2017-04-03 07:44 | 追憶 | Comments(4)

ミモザが咲く頃。。

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連翹や梅は満開。桜もちらほら咲き出して。
気温は相変わらず13度から15度ぐらいの花冷えの感じだが
日照時間が長くなり、花が一斉に開き始める。
たまたま降りたメトロの駅のそばに綺麗なミモザが咲いていた。
かつてこの花に惹かれて、パリから南仏に移動した時代が。。。。

1973年の9月に1歳の赤ん坊を連れて。
パリ15区の小さなアパートに住み始めた。
当初は「黄葉もそれなりにシックねえ」と思える街路の綺麗さにも見とれて。
初めての異国暮らしにいくらか興奮もして、クリスマスの行事も楽しんでいた。
クリスマスの朝 買い物に行った家の前の小さな万屋のおばさんが息子に
大きなサンタクロースの形をしたチョコレートをくれて驚いたり、喜んだりしたものだった。。

年が明けて1月半ばだっただろうか、
もう毎日。陽が差すことがなく、どんよりした曇り空ばかりの日々。
暖房の効いている室内こそ快適ながら 外に出ると身を切るような凍える寒さで、ゆっくりと散策もできない。
どんよりと曇った鬱陶しい日が続くのに。とうとう ねをあげてしまい。
まるで「灰色の箱」に閉じ込められているような圧迫感すら感じ出した。

フランス語も全くできなかったその頃。
日本から、朝吹登水子の「おしゃべりフランス語」の会話集は持って来ていた。
何気なくそれをめくっていると、
「3月になると南仏は全山がミモザの色で黄色に輝く」と書かれている。
ミモザ?黄色?全山?。。。花屋でしか見たことがないミモザが群れ咲く?
それを想像すると、もう居ても立っても居られない。
夫に行ってみたいと話すと彼も鬱陶しい毎日には草臥れていたのだろう。
見にいこうと言い出した。

「拾われる」に書いた方に、 http://kiramekuhi.exblog.jp/27591451/
「ミモザを見に行きたいのやけど」と相談して見た。
「行っといで。。2ヶ月ほどしたら知人がパリに住みたいと言って来ているから
その人にあの部屋を借りさせよう。後始末は全部やってあげるからいつ出発してもいいよ」
と言ってくださった。渡りに船とはこのことで。。大急ぎで準備を始め。
家財道具と言っても家具付きの部屋だから。住み出してからいくらか買った生活必需品と、
持って来たトランクに着替えを詰めて知人が買ったオンボロの中古車を借りて、
2月末に、南に向けて出発した。
凍えた道中をひた走り。何度かは安ホテルに泊まりながらひたすら南に。
ナポレオンロードと言われる山道を走った。
ニースの手前の山越えの途中、大雪に見舞われ。本当に南仏は春だろうかと不安だったが。
山を越えた途端、空は青く。何と言っても明るかった。
山のてっぺんにヒョロヒョロとしたミモザが1本立っていた。
「なーんや。。全山ミモザではないやんか」とぼやきながら進むうちに。
ありました。
左は地中海が青くきらめき。右手の低い丘に何キロも何キロも
見渡す限りのミモザの群れが。。。。嬉しかった。そして明るく暖かかった。

地中海沿いにスペインの方角に向けてまたひたすら走り。
カンヌから50kmほど離れた鄙びた街にアパートを見つけて
暮らし始め。毎日、毎日海岸でゆったり遊んだ3ヶ月。

ミモザを見るたびに、あの頃。。遊び呆けた毎日を懐かしくも。思い出すのです。




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by fusk-en25 | 2017-03-22 09:56 | 追憶 | Comments(8)

ワインを開けて。。

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頼んでいたワインを息子が持って来てくれた。
スキーに出かけた帰りにワインの産地によるから「いるか?」と聞いてきたので
とりあえず赤と白を半ダースづつ頼んだ。
「一人ではお酒は飲まない」と決めて8年が経つ。
でもせっかくのワイン。どんな味か1本ぐらい試飲しようと、まず白を開けてみた。
果物の香りがふんわりして、辛口のスッキリした味に。
ワインを試飲しては買っていた時代を思い出す。。

ある年の夏のヴァカンス。ブルゴーニュ地方に車で行った。
あちこちの小さな村々のワインを試飲して。何本づつか買い。
試飲の時は口に含む程度で飲みすぎてはいけないのを承知しているつもりでも
並々とグラスに注がれたワイン。ともすると飲みきってしまう。
「酒飲みの卑しさやなあ」と笑いながらも
3軒か4軒の酒蔵で試飲しているうちに酔っ払ってしまい、
予定地まで行かずにその村に泊まってしまったこともある。

赤ワインの酒蔵。確かFleurieフルーリで、
「次にPouilly-Fuisséプイイーフュッセに行くのですが。どこかいい酒蔵をご存知ありませんか?」
と尋ねてみた。
「ああ それならここに行かれたらいい。うちもそこで白は買っているんですよ」
と名前と住所を教わった。
村について私たちはもう教わった酒蔵で買うつもりでいる。
それでも一応試飲はして。「6本ください」と言うと。
ギロリと主人に睨まれて「奥さん。値段も聞かずに買うのかね。白は高いんだよ」と。
あれまあ、払えないような値段か?と内心ビクビクしながら
「ごめんなさい」と値段を尋ねた。
幸いにして払えないほどの高さではなかったが、確かにそれまで回って来た村々の赤ワインの倍もする。
もちろんワインの味も格別美味しかったのだが。
商売っ気の全くない頑固そうな爺さんに惹かれて。
それ以来その村を通るたびに立ち寄り。蔵主とも仲良くなった。
何年か後。11月の中旬に行った時「今年のワインの樽を開けたから飲むかい?」と言って
石油を吸い出すポンプのようなものを樽に突っ込みコップに注いでくれた。
ジュースともワインとも呼べないようなまだプクプクと発酵してどぶろくに近いようなワインだったが、
なんとも香りも良くて美味しい。
「これ欲しい」と言うと。
「売り物じゃないし、途中で味が変わるよ」と言いながらワインの瓶3本に入れてくれた。
車中、瓶が動かないようにしっかり持ったまま。家に帰り着いたが。
もうその味はかなり進化して。。どんどんお酒らしくなっていた。。。

ワインの村々も少しづつ近代化はして。もうこんな頑固そうな素朴な酒蔵主も少なくなった。
息子とも「プイイーフュッセの時代が懐かしいね」と話している。


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by fusk-en25 | 2017-03-14 07:18 | 追憶 | Comments(4)

拾われる。。

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引き出しを整理していたら。古い手帳が出て来た。
1973年9月。
この時に見つけて住んだアパートの住所が書いてある。家賃らしき記載も見える。
なんとも懐かしい気持ちになって、フランスに初めて着いた朝を思い出した。

早朝。1歳の赤ん坊を連れてオルリー空港についた。私たち夫婦は27歳だった。
なぜこんな赤ん坊を連れてまで旅行に来たのか?と思うが。。。
今でもわからない。その2年前に「パリにでも行かない」と、
その頃流行していた?ソ連経由の飛行機で夫と二人で来る筈だったのが。
日ソツーリストに飛行機を予約した直後に妊娠してしまい。
しょうがなく旅行も取りやめ。
せめて赤ん坊も1歳になったら歩くだろうと日時をずらしての旅立ちだった。
フランスに憧れていたのでもなく
「ちょっと長めの旅をしてみようか」程度の軽い気持ちだったと思う。

いい加減さはまた輪をかけていて。
乳飲み子を連れているのに。ホテルの予約も取らずに来てしまった。
その時代。ネットというものもなければファックスさえ使われておらず
唯一、テレックスがあっただけで。
しかもテレックスでホテルを予約してもらうのは法外に高かった。

飛行機も知人から紹介されたエールフランスの安いチャター便を見つけて、
その時代、なんと飛行機に乗る為に「旅行説明会」なんてものがあった。
親子3人で説明会に行ったら。フランスに度々行き来していた留学生が
「まさか赤ん坊連れの人がいるとは思えなかった」と笑われたが
その留学生も旅行社の社員も、
空港に行けばインフォメーションでホテルは簡単に見つかると言われて
それを鵜呑みにして来てしまった。
それにしても恐怖心が全くなかったのは若さの所為か?
何も知らない無知の馬鹿さ加減?でもあったのか?

さて、空港についた。
たまたま同じ飛行機に知人の女性が乗り合わせて。一緒に入国検査を済ませて
ホテルを探そうとしていた私たちに彼女を迎えに来た人に紹介された。
そのあとがまた不思議なのだが。
迎えに来られた方が、「うちに来ませんか?」と言われる。
「ホテルも取ってないのに。。」とおずおず答えると。
そんなもの僕のうちでやればいいと言われて。
家に連れて行ってもらい。朝ごはんも頂き。ホテルももちろん予約して下さって。
その挙句パリのホテルまで送っても頂いた。
子連れの頼りなさそうな若い夫婦を見かねてのことだったかと今になれば思うけれど。
それ以来その家族とはフランスにいた一年ほどの間、度々家に呼ばれてお世話になった。

この時だけでなく何か困った時になるといつも誰か助けてもらえる人に巡り会うことが多い。
どうやら私はあまりに頼りなげで、見かねて拾ってもらえるのかしら?と思ったりもしている。


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by fusk-en25 | 2017-02-26 07:52 | 追憶 | Comments(10)