煌めく光の中で


by fusk-en25

カテゴリ:追憶( 45 )

お盆に。。

「門徒物知らず」と言われる通りに。。
しかも祖父が浄土真宗の寺の長男だったにもかかわらず。
初盆ぐらいは岐阜提灯を飾ったこともあったが。
我が家は仏様を迎える準備などしたことがなかった。
仏壇を掃除してお盆らしき花を供え、墓参りはしていたかと思う。

もしもあの世というものがどこかにあって、そこから
お盆になると帰ってこられる。
という風習は確かに気持ちの中の思いに残る人たちを偲ぶにしっくりして
いいものだなあとは思う。

去年、生家を処分して、お位牌はこちらに持って帰って、
息子の家に祀ってはいるが。。
そのお位牌の人たち。。本当にそこが居場所になったのかしら?
去年までの住み慣れた家は更地になっていると聴く。
どこかでウロウロ迷っておられるのではないかしら?
などと想像してみるのも、楽しいなんていうと不謹慎かもしれないが。。
ちょっとそんな気分も持ってもみる。

夫の遺灰を置いている場所に。
私に因んだ人たちの写真も一緒に飾っている。
時々、話しかけたりはしても。。
心の隅では彼らが仏様になってしまっているとはどうも思えない。
そんなあやふやなことを思いながら。。それでも「やっぱりお盆やもんなあ。。」と
ささやかな花を摘んで。明かりを灯し、お線香もあげた。


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by fusk-en25 | 2017-08-15 09:54 | 追憶 | Comments(0)

センチメンタル?

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空港まで友を見送りに行った。
7月に入っているので、空港内はかなり混雑をしていて。
搭乗口までの長い列の上に大きな画面の広告が。
こんなものを誰がみているのでもないだろうけど。
何もないよりいいのかな。。などとへそ曲がりなことも考えながら見ていて。

帰りは久しぶりにパリのオペラまでバスに乗った。
途中シャルル・ドゴール空港に一番最初にできた、ターミナル1も通る。
ここに住みだした1979年にはここに着いた。と思うと。
この丸い建物を見るといつも少しセンチメンタルな気分に陥る。
あの頃はこのターミナルもまだ新しくて、
なんだかSFの空港に降り立った気がしたものだが。。。
40年近くの年月の流れは、
建物も寂れてきたなあと幾らかセンチメンタルな感慨にも耽りながら見ていた。



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by fusk-en25 | 2017-07-04 10:35 | 追憶 | Comments(0)
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本棚を整理していたら、懐かしいガイドブックが出てきた。
インターネットが今ほど普及していなかった時代。
このガイドブックはベストセラーになりそうな売れ行きを見せていて。
この本に載った店のウインドウに取り上げられたマークが貼られていた時代もある。
パリの安い店というだけでなく。
パリからちょっと足を伸ばせば行けるようなパリ近郊の店も載っていて、
単に品物が安いだけでなく品質もそれなりの良さが判るのが特徴の一つだった。

本棚にはこの1999年版しか残ってないが。
それより前の10年ぐらいは私も何冊か買っていたように思う。
この本を知ったのは83年だったかの誕生日に面白い本が出たよともらったのが最初で、
今これをめくって見たら、あちこちの店に付箋が貼ってある。
何軒か行って見たのかもしれない。
どちらかというと本を見て何か買うより。どんな店があるのかと読んで楽しむ方が多かったが。

ある年に、浴室の壁を貼り変えるつもりでタイルを探していた。
近所のタイル屋ではめぼしいものが見つけられず
欲しいと思うようなタイルは注文して取り寄せるのに
一月ぐらいはかかるなどと悠長なことも言われて腐ってもいた。
このガイドブックにパリ近郊の50kmほど離れた小さな町に
有名なメーカのどうやら売れ残りらしいタイルを取り扱っている店が載っていた。
いっぺんここをあたってみようと行くことにして。
小さな町に着いたら、街中にはその所番地はない。
不思議に思って市庁舎の中のインフォメーションで尋ねてみた。
係の女の人が「その店なら、町をちょっと出た高台の野原の中にありますよ。
なかなか良いものを置いていて安くて私も行ったことがあるの」と地図を書いて教えてくれた。
ちょっと外どころか延々と道が続き小高い丘のようなところに大きな納屋のような店が建っていた。
こんなところにタイルがあるのかしら?と不思議な気分で入って行くと。
もうそれは大量のタイルが所狭しと積んであって。
店主は「そこらあたりから好きなのを探して取ってくれ」と
なんでも勝手に見つけろという風にぶっきら棒に言う。
ここまできたから。選ぶかと探したあげくにイタリア製の真っ白な綺麗なタイルが見つかった。
しかし半分箱が破れて、汚れているタイルもある。
「これ買うの?」と夫に聞くと。それでいいと言う。
店を出てから夫に「汚れたものが嫌いなあんたがよく買ったわね」と言うと。
「お前アホやな。陶器というもんは洗えば汚れは落ちるねんで」と答えるではないか。
さすがに陶器屋の息子の見識だなと、変に感心した覚えがある。
もちろん浴室のタイルも自分たちで貼りました。
タイルは貼るより前のものを剥がす方が倍以上手間がかかりましたが。。


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by fusk-en25 | 2017-05-09 06:05 | 追憶 | Comments(8)

桜を見ては。。

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うららかな陽気が続いている。
例年より半月ほども早く色々な花が開いて、愛でる間も無く散ってしまう。
そんなに慌てて咲かなくても。。と言いたいほどに。

桜の花も今年はあちこちでパーっと一斉に咲き出した。
もう少し花が少なければ味もあるのに。。
混み合った花を写すのはもっと難しい。。
などとぼやきながら新緑に合わせて下から見上げる桜はやっぱり綺麗だった。

息子がまだ歩きもしないときだったか。。
舅姑と私の母も入れて私たち夫婦に息子と6人で昼食を食べに行った。
大阪に17番街という高層ビルのてっぺんにレストランができて
見晴らしが素晴らしかったと母が言うので。
両親も連れて行こうと予約もして。
和気藹々、なごやかに洋食も食べていたのだが、
食事が終わり、エレベータを待っていたとき。
そーっと姑が私に囁いた。
「なあ、あのお料理。本当は美味しいものやってんやろうな。。」と
「ええ?なんで?」「緊張したんか、なんとなく食べにくうて味がわからんかった」
もう吹き出しそうになった。
食事中はちゃんと人並みに食べていて、
赤ん坊の息子に話かけたり上機嫌に見えたのに。
舅の方は反対にハイカラ好みでそう言う席が好きなのも知ってはいたし。
何より高層ビルがまだ珍しいだろうから喜ぶと思っていた。
「やっぱり鰻の方が良かったん?」「そう言うこともないけどなあ。。」
となんだか腑に落ちないような顔をしていた。。姑を思い出す。

桜の花が咲くと。。毎年のことながら、
なんであんなに慌てて早くあの世に行ってしまったのかと思う。

4月3日。今日は姑の祥月命日でした。

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by fusk-en25 | 2017-04-03 07:44 | 追憶 | Comments(4)

ミモザが咲く頃。。

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連翹や梅は満開。桜もちらほら咲き出して。
気温は相変わらず13度から15度ぐらいの花冷えの感じだが
日照時間が長くなり、花が一斉に開き始める。
たまたま降りたメトロの駅のそばに綺麗なミモザが咲いていた。
かつてこの花に惹かれて、パリから南仏に移動した時代が。。。。

1973年の9月に1歳の赤ん坊を連れて。
パリ15区の小さなアパートに住み始めた。
当初は「黄葉もそれなりにシックねえ」と思える街路の綺麗さにも見とれて。
初めての異国暮らしにいくらか興奮もして、クリスマスの行事も楽しんでいた。
クリスマスの朝 買い物に行った家の前の小さな万屋のおばさんが息子に
大きなサンタクロースの形をしたチョコレートをくれて驚いたり、喜んだりしたものだった。。

年が明けて1月半ばだっただろうか、
もう毎日。陽が差すことがなく、どんよりした曇り空ばかりの日々。
暖房の効いている室内こそ快適ながら 外に出ると身を切るような凍える寒さで、ゆっくりと散策もできない。
どんよりと曇った鬱陶しい日が続くのに。とうとう ねをあげてしまい。
まるで「灰色の箱」に閉じ込められているような圧迫感すら感じ出した。

フランス語も全くできなかったその頃。
日本から、朝吹登水子の「おしゃべりフランス語」の会話集は持って来ていた。
何気なくそれをめくっていると、
「3月になると南仏は全山がミモザの色で黄色に輝く」と書かれている。
ミモザ?黄色?全山?。。。花屋でしか見たことがないミモザが群れ咲く?
それを想像すると、もう居ても立っても居られない。
夫に行ってみたいと話すと彼も鬱陶しい毎日には草臥れていたのだろう。
見にいこうと言い出した。

「拾われる」に書いた方に、 http://kiramekuhi.exblog.jp/27591451/
「ミモザを見に行きたいのやけど」と相談して見た。
「行っといで。。2ヶ月ほどしたら知人がパリに住みたいと言って来ているから
その人にあの部屋を借りさせよう。後始末は全部やってあげるからいつ出発してもいいよ」
と言ってくださった。渡りに船とはこのことで。。大急ぎで準備を始め。
家財道具と言っても家具付きの部屋だから。住み出してからいくらか買った生活必需品と、
持って来たトランクに着替えを詰めて知人が買ったオンボロの中古車を借りて、
2月末に、南に向けて出発した。
凍えた道中をひた走り。何度かは安ホテルに泊まりながらひたすら南に。
ナポレオンロードと言われる山道を走った。
ニースの手前の山越えの途中、大雪に見舞われ。本当に南仏は春だろうかと不安だったが。
山を越えた途端、空は青く。何と言っても明るかった。
山のてっぺんにヒョロヒョロとしたミモザが1本立っていた。
「なーんや。。全山ミモザではないやんか」とぼやきながら進むうちに。
ありました。
左は地中海が青くきらめき。右手の低い丘に何キロも何キロも
見渡す限りのミモザの群れが。。。。嬉しかった。そして明るく暖かかった。

地中海沿いにスペインの方角に向けてまたひたすら走り。
カンヌから50kmほど離れた鄙びた街にアパートを見つけて
暮らし始め。毎日、毎日海岸でゆったり遊んだ3ヶ月。

ミモザを見るたびに、あの頃。。遊び呆けた毎日を懐かしくも。思い出すのです。




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by fusk-en25 | 2017-03-22 09:56 | 追憶 | Comments(8)

ワインを開けて。。

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頼んでいたワインを息子が持って来てくれた。
スキーに出かけた帰りにワインの産地によるから「いるか?」と聞いてきたので
とりあえず赤と白を半ダースづつ頼んだ。
「一人ではお酒は飲まない」と決めて8年が経つ。
でもせっかくのワイン。どんな味か1本ぐらい試飲しようと、まず白を開けてみた。
果物の香りがふんわりして、辛口のスッキリした味に。
ワインを試飲しては買っていた時代を思い出す。。

ある年の夏のヴァカンス。ブルゴーニュ地方に車で行った。
あちこちの小さな村々のワインを試飲して。何本づつか買い。
試飲の時は口に含む程度で飲みすぎてはいけないのを承知しているつもりでも
並々とグラスに注がれたワイン。ともすると飲みきってしまう。
「酒飲みの卑しさやなあ」と笑いながらも
3軒か4軒の酒蔵で試飲しているうちに酔っ払ってしまい、
予定地まで行かずにその村に泊まってしまったこともある。

赤ワインの酒蔵。確かFleurieフルーリで、
「次にPouilly-Fuisséプイイーフュッセに行くのですが。どこかいい酒蔵をご存知ありませんか?」
と尋ねてみた。
「ああ それならここに行かれたらいい。うちもそこで白は買っているんですよ」
と名前と住所を教わった。
村について私たちはもう教わった酒蔵で買うつもりでいる。
それでも一応試飲はして。「6本ください」と言うと。
ギロリと主人に睨まれて「奥さん。値段も聞かずに買うのかね。白は高いんだよ」と。
あれまあ、払えないような値段か?と内心ビクビクしながら
「ごめんなさい」と値段を尋ねた。
幸いにして払えないほどの高さではなかったが、確かにそれまで回って来た村々の赤ワインの倍もする。
もちろんワインの味も格別美味しかったのだが。
商売っ気の全くない頑固そうな爺さんに惹かれて。
それ以来その村を通るたびに立ち寄り。蔵主とも仲良くなった。
何年か後。11月の中旬に行った時「今年のワインの樽を開けたから飲むかい?」と言って
石油を吸い出すポンプのようなものを樽に突っ込みコップに注いでくれた。
ジュースともワインとも呼べないようなまだプクプクと発酵してどぶろくに近いようなワインだったが、
なんとも香りも良くて美味しい。
「これ欲しい」と言うと。
「売り物じゃないし、途中で味が変わるよ」と言いながらワインの瓶3本に入れてくれた。
車中、瓶が動かないようにしっかり持ったまま。家に帰り着いたが。
もうその味はかなり進化して。。どんどんお酒らしくなっていた。。。

ワインの村々も少しづつ近代化はして。もうこんな頑固そうな素朴な酒蔵主も少なくなった。
息子とも「プイイーフュッセの時代が懐かしいね」と話している。


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by fusk-en25 | 2017-03-14 07:18 | 追憶 | Comments(4)

拾われる。。

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引き出しを整理していたら。古い手帳が出て来た。
1973年9月。
この時に見つけて住んだアパートの住所が書いてある。家賃らしき記載も見える。
なんとも懐かしい気持ちになって、フランスに初めて着いた朝を思い出した。

早朝。1歳の赤ん坊を連れてオルリー空港についた。私たち夫婦は27歳だった。
なぜこんな赤ん坊を連れてまで旅行に来たのか?と思うが。。。
今でもわからない。その2年前に「パリにでも行かない」と、
その頃流行していた?ソ連経由の飛行機で夫と二人で来る筈だったのが。
日ソツーリストに飛行機を予約した直後に妊娠してしまい。
しょうがなく旅行も取りやめ。
せめて赤ん坊も1歳になったら歩くだろうと日時をずらしての旅立ちだった。
フランスに憧れていたのでもなく
「ちょっと長めの旅をしてみようか」程度の軽い気持ちだったと思う。

いい加減さはまた輪をかけていて。
乳飲み子を連れているのに。ホテルの予約も取らずに来てしまった。
その時代。ネットというものもなければファックスさえ使われておらず
唯一、テレックスがあっただけで。
しかもテレックスでホテルを予約してもらうのは法外に高かった。

飛行機も知人から紹介されたエールフランスの安いチャター便を見つけて、
その時代、なんと飛行機に乗る為に「旅行説明会」なんてものがあった。
親子3人で説明会に行ったら。フランスに度々行き来していた留学生が
「まさか赤ん坊連れの人がいるとは思えなかった」と笑われたが
その留学生も旅行社の社員も、
空港に行けばインフォメーションでホテルは簡単に見つかると言われて
それを鵜呑みにして来てしまった。
それにしても恐怖心が全くなかったのは若さの所為か?
何も知らない無知の馬鹿さ加減?でもあったのか?

さて、空港についた。
たまたま同じ飛行機に知人の女性が乗り合わせて。一緒に入国検査を済ませて
ホテルを探そうとしていた私たちに彼女を迎えに来た人に紹介された。
そのあとがまた不思議なのだが。
迎えに来られた方が、「うちに来ませんか?」と言われる。
「ホテルも取ってないのに。。」とおずおず答えると。
そんなもの僕のうちでやればいいと言われて。
家に連れて行ってもらい。朝ごはんも頂き。ホテルももちろん予約して下さって。
その挙句パリのホテルまで送っても頂いた。
子連れの頼りなさそうな若い夫婦を見かねてのことだったかと今になれば思うけれど。
それ以来その家族とはフランスにいた一年ほどの間、度々家に呼ばれてお世話になった。

この時だけでなく何か困った時になるといつも誰か助けてもらえる人に巡り会うことが多い。
どうやら私はあまりに頼りなげで、見かねて拾ってもらえるのかしら?と思ったりもしている。


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by fusk-en25 | 2017-02-26 07:52 | 追憶 | Comments(10)

呼び名を。。。

孫は私のことを「ばあち」と呼ぶ。
生まれた時に息子が「なんて呼ばれたい?」と私に尋ねた。
母はおばあさんと呼ばれるのを嫌がって息子に「ちゃあ」と呼ばせていた。
大きいママとかグランマ、なんて変な呼び方は嫌だから、おばあさんでいいと言うと。
おばあちゃんにしようと言う、なんでもいいけどそれで結構。
孫はその「ちゃん」がうまく言えなかったのか端折って「ばあち」になったが、
彼が呼びやすければそれでいいと思っている。

日本の名称は難しい。夫のことも
夫。主人。宿六。亭主。旦那。うちの人。彼が等々。まさか今時「背の君」なんてことはないだろうが。
フランスならモンマリ(私の夫)一つで済むのに一体何を使えば適切か悩むことも多い。
名前にしてもニコルとかジャンとかマリーなどのプレノンだけで。
孫以外なら誰もおばあさんなどと呼ばない。
そんなことを考えていて、ふと姑のことを思い出した。

ある日。実家に寄った私に、真剣な顔をして姑が言い出した。
「私なあ、あんたに謝らんならんことあるらしいねん」
「ふうん。おかあさん。なんか悪いことしたん?」
言いにくそうに「あんたのことをF子と呼び捨てにして、
他の嫁さんには「ちゃん」をつけて呼んでるやろ。友達がそれはえこひいきや言うねん。
A美ちゃん(兄嫁)にも聞いたらな。
F子さん(私)が気ぃ悪したはるかもしれませんでと言いやんねん」
ちょっと悄気たような顔をしてボソボソと言う姑を見ていると
おかしくて吹き出してしまった。
「アホなこと。私そんなことちっとも気にしてへんで、
中学や高校の時もあだ名はなかった代わりにみんなに呼び捨てにされてたから」
「そやなあ。。Kちゃん(夫)があんたのことを呼び捨てにするからつい慣れてしもうて。
それになんとなくなあ、ちゃんをつけたらあんたには似合わへんし。よその子みたいな感じになるねん」
とホッとした顔をしたのがまた可笑しい。
自分の息子にはちゃんづけで嫁の私は呼び捨てかなんて私はその時もちっとも思わなかった。

確かに中学も高校も女の同級生は名前を呼び捨てにして、男の学生からは姓を呼び捨てにされていた。
今の歳になると呼び捨てにされていた舅や姑も、母や叔父も。そして夫まで亡くなってしまい。
知人友人も年下が多くなってくると。呼び捨てにされることも少なくなり。
かえってそれもなんとなく寂しいような気がする。

息子の宮参り、両側に嬉しそうな顔をした二人のおばあさんがいる。。。
この時からもう45年も経ってしまった。


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by fusk-en25 | 2017-02-22 07:36 | 追憶 | Comments(12)

ビールを。。

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若い頃。ビールはあまり好きでなかった。
お酒が飲めなかったわけではない。
ビールの苦味が好きでなくて美味しいとは思えなかった。

1973年から4年にかけて。
パリから南仏に移動しながら暮らしていた時期に。
ドイツに行ったことがある。レンタカーを借りて
パリからどこを抜けて行ったかはもう忘れてしまったが。
ミュンヘンまで。アウトバーンを使ってその日は1000km走ったのだけは覚えている。
着いたミュンヘンで、まず大きなビヤホールに入った。
ミュンヘンだからやっぱりビールね。とカウンターで頼んだ。
するとカウンターの一部分が開いて。
どーんと大きなビールの樽がせり上がって来た。
生ビールが樽ごと冷やされていて。そのビールのなんと美味しかったこと。
ビールってこんなに美味しいものなんだと初めて思った。
それ以来。開眼したと言うか。病みつきになったと言うか
ビールも飲めるようになった。

ただこう言うものは嗜好品だから好き嫌いは色々ある。
ハイネッケンやバドワー。フランスでならクロネンブルグなどの
メジャーのブランドは今でもあまり好きでなく、
キャフェでビールを飲むときもその店のテントに書かれたビールの銘柄を見てから入る。
家でも色々飲み比べては、アルコール度の違った好みのビールを何種類か冷やしている。



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by fusk-en25 | 2017-02-21 11:30 | 追憶 | Comments(4)

剥がしもの。。

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焙じた番茶を飲もうとしていて、
たまには違った湯呑みを使って。。と。
好きな染付の撫子の湯呑みを出して来た。
夫の実家で作られたものだが、釉薬の藍の色が冴えて。可愛い撫子のの花が浮き立つ。

私が嫁いだ頃はもう染付より、交趾焼と呼ばれる色物の器がほとんどだったが
まだいくらか日常雑器の染付も焼いていた。
この染付には素焼きの器にゴム糊で撫子を描き、釉薬をかけて
そのゴムを外す「剥がしもの」と呼ぶ手順がある。
ある日。実家によったら、姑がせっせと剥がしものをやっていた。
スルスルと面白そうに描かれたゴム糊を細いピンで剥がしていく。
私も手を出して、剥がしてみた。
スルスルどころかプツンプツンと糊のまくが切れてしまう。
「うまいこと剥がれへん」と私が嘆くと。
「ゴムの溜まったとこから剥がして、そうーっと引っ張ったら
お父ちゃんが一筆描きにしたはるから、すーっと外れるで」と笑う。
姑はどちらかというと不器用な人で、
彼女にできるなら私にも簡単に出来るだろうと思ってやってみたのに。
姑が5つか6つ剥がしている間に私はとうとう一つしか剥けなかった。
しかも切れたゴムの跡もプツプツ残っている。
しまいに「こんな肩凝ることできへんわ」と言うと。
姑がクスクス笑い出して「あんたやったら3、4日もすればできる」と慰めてはくれたが。。
職人の熟練とはそう言うものかと納得する思いだった。

久しぶりに撫子の湯呑みで焙じ茶を飲んで。
遠い昔になってしまった工場の情景を思い出していた。

2月11日。今日は姑の誕生日だった。


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by fusk-en25 | 2017-02-11 08:03 | 追憶 | Comments(4)