人間の「生死」だけは誰にも決められない。生まれる方はまだ月満ちてだいたいの目安で産まれいずるが。
死の方は全くもって期日がわからない。
これがいいかどうかは別として、だからどう生きるのか?がとりわけ難しい。
4月に日本に帰った時。
私たちより1世代も上の90歳を超える方々に会う機会が多かった。
高級養護老人施設に入っておられる方もいたし。
自宅で家政婦さんに介護されていたり、娘と同居という方もおられた。
入院されていた人を見舞いもしてきた。
その幾人かの老人の中で、この人は立派だなあと思えたのは。
92歳の老婦人で、一人暮らしをしながら、なんと自分の店も現役?でやっておられた。
息子さんが近くに住んでおられていくらか手助けはされてはいたが、
あられを売る小さな店の店番も商品の管理も彼女が一人でやっておられる。
彼女の娘が私の高校の後輩で、私も後輩も実家が同じ街にあることから。
私の帰国に合わせて横浜から会いに帰ってきてくれて、
後輩の滞在していた間はほぼ毎日のように行き来をしていたのだが。
たまたまある日、私が実家で洗濯をしていたら、洗濯機の絞る機能が動かなくなってしまった。
洗いは終わっていたから絞るだけにコインランドリーを使うのも嫌で。
びしょびしょの洗濯物をビニール袋に入れて後輩の実家に絞って欲しいと頼みに行った。
するとおばさんがそんな潰れそうな洗濯機を使われるより。
「洗濯をしてあげるから持っていらっしゃい」と言われるではないか。
まさかねえ、いくら私でも「はいそうですかそうします」とは厚かましくて頼むのをためらっていると。
「私がやるのではない機械が洗うのだから」と言われる。
そうでしょうけど。。とその場はそれで済ませた。
今度は3日にあげず横浜に帰った後輩から電話がかかる。
「お母さんが洗濯をどうしてはるのか心配やと言うから。持って行ったって」
結局好意に甘えて何度か洗濯をしてもらった。
我が家より最寄駅に近いその店に、出かける際に洗濯物を持って行って預け、
帰りに出来上がった洗濯物を受け取る。
毎日ほどに人に会いに外出して時間がない私にはそれはもう考えられないくらい有難いことだった。
「若い私の方が年を召された方に介護されるなんて反対やんか。」と苦笑いはしながら
こちらに帰って息子にその話をした。
聞いた息子はやたら感激して
「人間は口でこそしてあげると言えても。実際にやってもらえるなんてなんと奇特なことか」と。
洗濯をしてもらえたから言うのではないが。
一人暮らしをされていて、自分の店も一人前にこなし。さらに人の手助けも出来るなんて。
私もできればこんな老人になりたい。あやかりたいものだとつくづく思う。
人間はいつ死ぬかは自分ではわからない。
ならば彼女のように90歳を超えてもこんな風に生きられるなんて、なんと素晴らしいことだろう。
実家の庭にはえていた猫じゃらしを玄関にいけていた。
日時もちょうど今頃で、夏の匂いがする。。。