花と写真と
2015年 10月 06日
「せめて、自分の生けた花ぐらい綺麗に写したい」
7年前。それまでカメラに触ったこともない私が夫に話したことがある。
逝く直前だった。夫は笑いながら
「花を生けた者が写すと いけた思い入れがのるからかえって写せるよ」と答える。
そうだろうか?
その頃咲いていたベランダの朝顔を入院した夫の代わりに写してみた私は
まず夫ならこんな風に写すだろうと どうしても思ってしまう。
「それやったら。お前の方がきっと早いやろうな」と。
いまだにカメラのカラクリはわからない。
もしもオートフォーカス機構や手振れ防止がなかったら
写真にはならないだろう。
特にいけた花の写真は難しい。
花を生ける思い入れの方が強すぎるのか?
「自分が種を蒔いて育てた花を毎日ほどに摘んでいける。至福の時間」とは思う。
でもそのいけた思い?がすんなり写真にはなるには。。。程遠い。
夫が写した写真でも
生けた花とは違って見える。いいなあと思える写真は少ない。。。
当分の悩みになりそうな気がする。
この3枚の写真は夫が写したもので
花は金蓮花とクレマチスの蔓。自然に乾いたクレマチス。
個人的には1枚目の写真が好きですが、
写真は別として、自然に乾いたクレマチスもいいですね。
2枚目のクレマチスに写真が、以前枯れたノリウツギを
描いたことを思い出しました。
枯れた花や乾燥した花はまた違った雰囲気があって好きです。
最後に文章で、ええっ!
fuskさんが撮ったものだと思っていましたので…
ご主人の撮影だったとは…
写したのは夫ですが。花をいけたのは私だから。
多分夫にとっては「写してやってる」の域からでなくて
自分の写したいものとは違うのだと思います。
だからきっと「いけた者の思いがのる」と言ったのでしょう。
でも本当に「でもしかし。。」でして。
写真に思いなんか「のれる」どころか、いけている自体も思いでやっているのか。。。
近頃は全く判らなくなりました。
私もこんな風にいけるのが好き。
先日、庭に茂った野葡萄も半分ガラスの花器に実を沈めて(沈めてと書くと変ですね)水中のきれいな色を楽しんでおりました。
ご主人がおっしゃったようにお花はいけた人が撮ると、やっぱりその人の想いがのるように思います。
20代の頃からいけばなのお稽古に通い、展覧会になればお花専門の写真家さんに撮影をお願いしていたのですが、私は(会のみんなも)その写真家さんの写真がどうもしっくり来なくて、数年前にはそれを止め、各自が撮るということにしてありました。
もう亡くなってしまったその写真屋さんも当時もかなりご高齢で、たった一人で各流派の写真を撮っていたのです。
デジカメが普及する前の話です。
キンレンカ・・・・ナスタチュームですね。
大好きな花です、食べられるそうですね。
クレマティス、こんな風にドライになるのですね。
若い頃はあまり好きではなかったこんな花の姿、このごろ好きになったのは自分自身も年をとったからなのだと思います。長くなりました。
私は若い頃の方がドライの花や蔓は好きでした。
水がなくても表現できるから、ちょっと思いきった大きな感じの花が。。。例えば壁いっぱいにいけれますでしょう。
ただ長く飾るとわびしいから家ではあまり使いません。
時々、家でもそれなりの趣が欲しい時に、小さな薔薇とか紫陽花を咲ききるまでに乾かしたりはします。